ゆるしあう理由

 始まりの言葉〜聖書とともに歩む日々366〜より

 彼らをお赦しください。
 自分が何をしているのか知らないのです。

 この言葉に
 ゆるしあうべき理由が要約されています。
 わたしたちは結局のところ、
 自分自身でさえ自分が
 何をしているのか知らないのです。
 裁きあって何になるでしょう。    引用おわり

 自分では、他人を裁いているつもりはないけれど、
 自分は誰かに裁かれているような気がする・・・そんな風に感じることはありませんか?

 子どもたちにはどうでしょう?
 裁いている?とんでもない?教えてやっている?正しい方向に導いてあげてる!?

 そもそもしつけという大義名分も誰の為のしつけでしょう?

 しつけも、教育も、もしかしたら恋愛も、夫婦関係も?
 何事も続けているうちに(惰性で?)
 いつのまにか自分の都合が、自分でも気づかないうちに
 入り込んでしまって結果的に、裁いちゃってる・・
 ということがあるかもしれません。

 たまには、立ち止まったり、振り返ったりしたいものです。

by 田中 圭祐