December 2008 Archives

 「悲しいわ。」横断歩道を渡る際につぶやいた2年の男の子がいました。すぐに追いかけていって「何で?何が悲しいの?」と尋ねました。「決まってるやん。明日から学校休みだもん。」本当にちょっとがっかりした表情で答える彼のことが、今朝はとても心に残りました。楽しいはずの冬休み。でも、学校に行けば友だちや先生に会える!家で過ごす休みも楽しいけれど、でも学校が楽しい!そう言ってくれる彼のような子どもをいっぱいにしなければ!と強く思ったのです。

 終業式では、「年度が変わるお正月。これを機に今日までやってきたことを振り返ることが大切です。頑張ったこと、力がついたこと、人に親切にしたことなどは、これからもどんどん伸ばしていきましょう。けれども、さぼったこと、人が悲しむようなことをしたことなどがあれば、必ず改めましょう。必ず人は変わろうと決心すれば、変われるのです。忙しい年末年始ですが、必ずひとつは家で家族が喜んでくださるような行いを決めて続けましょう。」というお話をしました。何でもやってもらって当たり前の生活ではなく、この冬休み、家族の一員として自分に何ができるのかを考えてみることも大切なことだと思います。そして、学年に応じてこの学期の自分を、またこの2008年の自分を振り返ってみる有意義な冬休みにしてほしいものです。

 余談ですが、下校時間に桜並木や正門付近で子どもたちを送り出していますと、3年の子どもたち数人が話しかけてきました。「校長先生、来年は2009年ですよ。間違えないでくださいね。」「そうそう、びっくりしたもん。」というのでよく聞くと、終業式のお話のなかで「来年2010年は...」と年度を間違えていたらしいのです。「よく聞いてたなあ。」と赤面しながら照れていると、「当たり前やん。みんな校長先生が間違えたとき、ええ?ってざわついたの、先生気がつかへんかった?」とのこと。「何や、気がついたんやったら、言うてくれたら良かったのに。」と言うと「そんなん無理やわ。なあ。」とみんな大笑い。穴があったら入りたい気持ちでした。聞いていたみなさん、ごめんなさい!

 またみなさんと元気にお会いできるのを、心待ちにしています。どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 ベルナデッタホール(体育館)の入り口には赤いリボンが結ばれたツリーが飾られ、この待降節にみんなで実践に頑張ったことを示しています。午前8時50分に保護者のみなさまにも会場にお入りいただき、藤原順子教頭のクリスマスについてのお話を聞いていただきました。9時20分頃から子どもたちが入場。照明がおとされた会場は約700人でうまりました。静まりかえったなか、全員で手を合わせての瞑想で、セアンスは厳かに始まりました。

5年生が演じるマリアと大天使ガブリエルの「受胎告知」の場面。ヨゼフが身重のマリアを気遣いながらベトレヘムへと旅する場面。宿がどこもいっぱいで家畜小屋で出産することになった場面。聖歌隊の美しい声が合間に響きわたり劇はすすんでいきます。野宿をしていた羊飼いたちに天使から降誕が伝えられ、やがてイエスのもとに駆けつける場面。東国の3人の博士が大きな明るい星に導かれ、はるばるとイエスを拝みに来る場面。ある曲は全校で、ある曲は聖歌隊で歌われ、いよいよクライマックスへ。共同祈願をみんなでお祈りした後、クラスの代表が待降節の実践カードをリボンでまとめ、舞台上のイエスのもとにお捧げしました。ここで聖歌隊の初の試みでゴスペルを合唱。会場いっぱいに散らばった聖歌隊の子どもたちも、舞台上の聖劇隊の子どもたちも手を打ちながら右に左に体をゆらして楽しく踊りながら、クリスマスをお祝いしました。そして最後は全員での「もろびとこぞりて」の合唱。みんなの心がこもった、最高に盛り上がったクリスマスセアンスで、お越しいただいたみなさまも本当に幸せな気持ちになっていただいたと思います。

 2学期もあと22日の終業式を残すのみとなりました。元気に全校全員が揃って、2学期の頑張りをお互いに称えあいたいものです。

 いよいよクリスマスセアンスも明日に迫りました。1年の保護者のみなさまには、セアンスへのご参加をお願いしております。お忙しいなかではございますが、ぜひご来校いただければ幸いでございます。セアンスには今年も2年生21人が、天使役となり出演いたします。また5年生21人が聖劇隊として、11月21日より11日間の練習を積み重ねてきました。さらに、今年初めての試みとして3年生以上の有志による聖歌隊を募集したところ、63名もの応募があり、6年生とともに美しい歌声でセアンスを盛り上げます。

 今日はリハーサルが12時30分より体育館でありました。少し早めに舞台裏を覗くと、聖劇隊によるお祈りが始まりました。「神様、今から聖劇の練習を始めます。この聖劇が、私たちの思うとおりではなく、みこころ(神様のおのぞみ)のまま行われますよう、私たちの心に聖霊をおくり、力強く導いてください。主キリストによって...アーメン。」今日までの10日間、こうして毎回お祈りで始め、お祈りで終わりながら、ひとつの素晴らしい仲間になってきた様子が、ひしひしと伝わってきました。大天使役の5年生が2年生の天使役の子どもたちに「はいっ、手を高く挙げてごらん。そう、しっかり指まで伸ばして...。」と自主的に細部の練習を子どもたちだけでしていました。「先生、わたしも5年になったら絶対聖劇に出たい!。」嬉しい2年生の呟きでした。

いよいよリハーサル開始。会場のすみずみまで通るナレーターの声。新しい曲が何曲も加わったにも関わらず、よくまとまった聖歌隊の歌声。そして息のぴったりあった2年生と5年生による聖劇。今日まで実践を重ねながら、練習を積み重ねてきたみんなの思いが伝わってきて、素晴らしいセアンスになる予感がいたしました。

明日は実践に取り組んできた全校の子どもたちが会場をうめます。心温まるクリスマスセアンスとなりますように。

 宮澤賢治の「雪わたり」に出てくるような、真っ青な冬の空のもと、空気も澄みきった朝でした。わたしは丹後半島にある田舎町で育ちましたので、今朝のような青い冬の空は望むべくもなく、雨やみぞれ、そしてときには雪を降らすどんよりとした厚い灰色の雲こそが冬の代名詞でした。

同世代の方と話すとき、よく「小学校のとき、どんなストーブだった?」などという話題になります。都会のほうでは石油ストーブだったと答える方もありますが、みなさんの頃はいかがだったでしょうか。わたしの通った小学校では、ちょうど蒸気機関車の形をした円柱型の鉄のストーブでした。燃料はもちろん、薪です。今から思うとすごいと思うのは、おそらく3年以上の学年だったと記憶しているのですが、このストーブの火を一から点けるのが、日直の朝の仕事でした。だから日直の日には朝早く職員室にマッチをもらいにいき、校舎外にあった薪小屋で用務員さんから焚付け用の新聞紙とその日の薪をもらって、教室に向かうのが慣わしでした。雪が積もった朝などは、手もかじかんで思うようにマッチも握れません。でも細い木々を組んで入れ、その下にねじった新聞紙を突っ込んで、慎重に火を点けたことは今でもはっきり覚えています。うまく燃やせず火が消えて教室中が白い煙だらけになったこともありましたが、そこは経験の産物。次第に上手に火を点けることができるようになりました。やがて、給食の時間になると、ストーブのまわりにあった網に冷たく固いパンを載せて、あつあつにするのが楽しみでした。牛乳(これも世代によっていろいろですね。わたしは脱脂粉乳ではありませんでしたが、瓶の底にはいつも粉状のものが溜まっていたのを覚えています。)も、先生がストーブの最上部に乾燥防止のためにかけてあった鉄の水槽の中につけてくださり、ホットミルクにして飲んでいました。何年生のときだったか、授業中に先生が誤って煙突の筒を教室内で外され、もう煤と煙で教室中が真っ黒になった事件も今は懐かしい思い出です。

最近のことですが、理科の授業を終えた先生が目を丸くして話してくれたことがあります。「先生、マッチってもう見たことが無い子どもがたくさんいますね。マッチを擦るなんてもちろん初めて。大変な時代になってきましたね。」そんな子どもには今日のお話も、まったくイメージできないのですね。

ふと故郷の鉛色の雲を思い出した朝でした。

 葉がほとんど落ちてしまった桜並木で、2年生の女の子が両手で何かを大切につつみこみながら、登校してきました。「おはよう!何持ってるの?」と尋ねると、二人はにっこりと笑って「フレディ!」と言ってそっと手のなかを見せてくれました。小さな二組の手のなかには、小さなもみじや銀杏の葉っぱが数枚ずつ入っていました。「なるほど。葉っぱのフレディだね。」二人は大きくうなづいてくれました。そういえば、少し前に2年の先生から、子どもたちの間で、「これがフレディ!」「いや、きっとこの葉っぱがフレディ!」と最後に落ちる葉っぱのフレディをあてっこする「フレディごっこ」がはやっていると聞きましたが、みんなの予想は当たったのでしょうか。すっかり冬景色となった桜並木の下を歩きながら、そんなことを考えていました。

 校長室前のツリーも少しずつ赤いリボンが目につきはじめ、待降節の実践が全校ですすんでいることを感じさせます。矢野神父様によると、ツリーが今のように賑やかな飾りをつけるようになったのはアメリカでのこと、もともとドイツなどではりんごを吊るしたそうです。つまり旧約聖書に出てくるエデンの園にあったりんごの木こそが、ツリーの原型だそうです。また、クリスマスのメッセージは「分け合う」こと。だからどんなに人数が多くても七面鳥は1匹を分け合い、円形のケーキ(バウムクーヘンなどがそうです。)を分け合うことが大切だったそうです。「分け合う」ということで、今3年梅組が中心となって、『ペットボトルのキャップで世界の子どもにワクチンを届けよう』という取組を始めています。ごみとして捨てればキャップ400個で3150グラムの二酸化炭素が出るそうですが、リサイクルにまわせば400個で10円になります。ポリオワクチンが一人分20円であることから、800個集めれば一人分のワクチン代になるわけです。今日現在、2400個が集まりました。これで三人のワクチンが買えます。12月18日まで3年梅組の教室前で集めていますので、ご協力くだされば嬉しいです。待降節の小さな「分け合う」体験がこれからの生き方の指針となることを願ってやみません。

全校朝礼で紹介された絵本をご紹介します。

|

 この冬一番の冷え込みの朝でした。今日の朝礼では2年の副担任で図書館の担当でもある安岡淳子教諭がすてきな絵本を子どもたちみんなに読んでくれました。樋口通子さんという大阪のお母さんが、自分の子育てのなかで作られた手作り絵本「かみさまからのおくりもの」(こぐま社)という本です。全文をご紹介します。

 

 あかちゃんがうまれるとき かみさまはひとりひとりのあかちゃんに おくりものをくださいます。かみさまからのおくりものは てんしが はこんでくるのです。ほぎゃあ ほぎゃあ ほぎゃあ ほぎゃあ ほぎゃあ。ごにんの あかちゃんが うまれました。

 「ほっぺの あかい あかちゃんには このおくりものがいい。とどけておくれ」

 「はい かしこまりました」

 てんしが はこんできた おくりものは よくわらう でした。

 あかちゃんは よく わらう あかるい こどもに なりました。

 「おおきい あかちゃんには このおくりものが いい。とどけて おくれ」

 「はい かしこまりました」

 てんしが はこんできた おくりものは ちからもち でした。

 あかちゃんは ちからもちの げんきな こどもに なりました。

 「ないている あかちゃんには このおくりものが いい。とどけて おくれ」

 「はい かしこまりました」

 てんしが はこんできた おくりものは うたがすき でした。

 あかちゃんは うたの すきな こえの きれいな こどもに なりました。

 「よく うごく あかちゃんには このおくりものが いい。とどけて おくれ」

 「はい かしこまりました」

 てんしが はこんできた おくりものは よくたべる でした。

 あかちゃんは よくたべる じょうぶな こどもに なりました。

 「すやすや ねている あかちゃんには このおくりものが いい。とどけて おくれ」

 「はい かしこまりました」

 てんしが はこんできた おくりものは やさしい でした。

 あかちゃんは こころの やさしい こどもに なりました。

 「かみさま すてきな おくりものを ありがとう」

 

 今目の前にお預かりしている子どもたち、ひとりひとりが、かけがえのないかみさまのおくりものであり、宝物であることを、今一度、強く強く心に刻まねばと感じています。

 今日は校長に代わって教頭の藤原がブログを書かせていただきます。

1130日の日曜日からカトリックの典礼暦では『待降節』という期間に入りました。『待降節』とは、クリスマス(主の降誕)を迎えるえるために、ひとりひとりが心をきれいにして準備する期間です。121()に登校してきた1年生の子どもたちは、校長室の前に飾られた大きな馬小屋の前に立ち止まりのぞき込んでいました。そして馬小屋の横にあるクリスマスツリーを見て「なんでこのツリーはいっこもかざりをつけてないの?」と聞いてきました。聖母のクリスマスツリーには最初は何もついていないのです。待降節の間、「ぼくたち、私たちがサンタになろう!」を合言葉に周りの人を大切にし、喜びを与えられるように実践していくのです。そして、一日を振り返ったあと、赤いなリボンをクラスに一つツリーに飾っていきます。毎日18個(全18学級)のリボンが飾られるので、クリスマスにはツリーが真っ赤になります。

ところで、今朝は聖劇隊と聖歌隊の朝練習がありました。1219日に全校児童が集まってクリスマスセアンスを行います。これはキリスト降誕までの物語を聖書朗読に合わせて行う無言劇、聖歌、そして祈りです。聖劇隊は毎年5年生が担当しますが、有志21名がすすんで参加しています。また、聖歌隊は6年生が担当するのですが、今年は346年から聖歌隊を募集したところ、60名もの子どもたちが喜んで参加してくれています。聖劇の配役もきまったようで、朝の練習や放課後の練習にも一生懸命取り組んでいるようです。たくさんの天使が出演する場面で、実は2年生も登場するのです。全校でつくり上げるクリスマスセアンス、楽しみです。1年生も頑張って聖歌の練習をしていますよ。

♪世界ではじめのクリスマスは 小さな小さなクリスマス けれども喜び満ちあふれた気高い誠のクリスマス♪

 「校長先生、ええもんあげる。」朝の横断歩道で1年の男の子がわたしの手のひらに小さな手のひらを重ねてきました。冷たい彼の手のなかでモニョモニョ...?と何やら毛むくじゃらの感触。「何だ、こりゃ?」不思議そうに顔を見つめるわたしに、「ねこじゃらし。びっくりした?」ニカっと笑って薄茶色のねこじゃらしの先っぽを見せてくれました。そうかと思うと3年の女の子が、ひろげているわたしの手をぎゅっと握ってきて、「あったかーい。先生なんでこんなにあったかい手してんの?」と毎朝、尋ねてくれます。何年生までこんなふうにしてくれるのかなあなんて考えながら、お父さんになった気分です。朝のちょっとしたふれあいに心は一気にあったまります。

 今週は今日までの3日間、6年生の面接練習をしました。校長室を面接会場にみたてて、3人一組で教頭とふたりで模擬面接をします。待合室での待ち方にはじまり、ノックや入り口での会釈、そして挨拶のしかたなどなど。緊張のあまりかわいそうにガタガタとふるえがとまらない子どももいれば、「失礼しまーす」と何の緊張感もなくて注意しなければならない子どももいます。けれども「そんな礼ではだめ!やり直し!」「声が小さい!相手の目を見て話さなきゃ!もう一回。」と、練習を重ねるうちにだんだんと場に応じた作法が身についてきます。このほか、様々な質問への答え方についてもひとつひとつ「もう一回尋ねるよ。」と練習を重ねます。この練習が少しでも本番の入学試験に役立つと嬉しいです。同時にこの練習は、ふだん、なかなかゆっくりと話せない6年生のひとりひとりとふれあう貴重な機会でもあります。あるグループに「小学校で習った先生で一番印象に残っている先生についてお話してください。」という質問をしたところ、A君が「6年で担任していただいた○○先生です。」とはっきり答えたのには、はっとしました。彼は春先、新しい先生に馴染めないと校長室に来てはこぼしていた子どもでした。練習後そのことを尋ねると、「最初は先生が自分にばかり厳しいと思っていたんだけど、休んだときには必ず大丈夫だよと声をかけてくれたり、しんどいときには手紙をくれて励ましてくれたりして、今ではすごくいい先生だなあと心から思うようになりました。」とのこと。本当に嬉しい報告でした。またひとつ6年生の行事が終わりました。あと4ヶ月。考えると寂しくなります。

 今日はたくさんの保護者をお迎えして、4年の学年ミサが午後から行われました。矢野神父様より「素直に大きく成長できますように」というミサの意向について種まきをたとえにお話がありました。「種が芽を出して大きく成長するためには、畑を耕すことがとても大切です。素直にということは心を耕すということにほかなりません。」まだこの前入学してきたように感じる子どもたちも早4年。真剣にお話に耳を傾けていました。

4年生の高らかな歌声を聴きながら、わたしは前日届いた1枚の喪中はがきのことを思い出していました。それはわたしが新卒2年目に担任した4年生の、A君のお母さまのご逝去を告げるものでした。当時のわたしのクラスには元気者が揃っていて、あまりのいたずらぶりに当時いらっしゃったシスターから、わたしも子どもたちも毎日お叱りを受けていました。わたしの指導の未熟さのせいなのですが、同僚からは「聖母始まって以来の野生の王国やなあ。」などと言われる始末。それでも毎週わたしのアパートにはクラスの誰かが遊びに来る可愛い可愛いクラスでした。

ある日の放課後、教室で何人かがボールで遊んでいて、そこにあったマリア像を床に落として壊してしまうというできごとがありました。そのボールを投げたのがA君でした。翌日の放課後、お花をもって謝りに来られたのがこのA君のお母さまでした。「こんなことをしでかしてしまって、何とお詫びしたらよいか・・・こらっ頭を下げなさい!」お母さまの頬に涙がつたうのがわかりました。前日はわたしの指導に友だちとともに真面目に反省していなかった彼が、このお母さんの涙を見たとたん、真剣な顔になったのがわかりました。「もうこれから絶対こんなことはさせません。先生許してください!」肩をふるわせながら溢れる涙を拭おうともせず最敬礼されたお母さまの姿を、またその横で小さくなってしょげていたA君の姿を今でも忘れることができません。そしてあれから23年たったこの寒い冬に、お母さまの遺影のもとでしょげているであろうA君。どんなにか辛くさびしいことでしょう。

大好きなお母さんを悲しませることがこんなにも辛いものだと、あの日に思い知ったA君。わたしは、一生懸命彼の心を耕し続けられたお母さまのために心からお祈りを捧げました。

 

 先日の授業風景から。頭に三角巾をつけ、思い思いのカラフルなエプロンを身につけて、5年桜組の子どもたちが、調理室で家庭科の調理実習に取り組んでいました。今日のメニューはご飯とお味噌汁。「先生、この煮干のはらわた、取れてると思う?」女の子が雑魚(じゃこ)を手にわたしに尋ねてきました。「どれどれ、見てあげる。」と言うなりパクっと雑魚を口に放り込むと、「あー食べちゃった...。」びっくりしてわたしの口を見つめている彼女に「うまい!うん、はらわたはしっかり取れてるよ。」と答えてあげました。昔おやつで味わった懐かしい雑魚の味が口いっぱいにひろがりました。今の子どもたちはこれをおやつとは思わないでしょうね。日頃腕白な男の子が、包丁をもち神妙な顔でえのきだけや豆腐を切っている班。またなかなか手馴れた手つきで女の子がねぎを切っているのを「さすが...」とぽかんと見つめている班。いろいろありましたが、どの班も料理の楽しそうなことといったらありません。

その後調理室を出たわたしでしたが、約1時間ほどたったころ、校長室に6人の子どもたちがお盆に湯気のたったご飯と、お椀に入った熱々のお味噌汁を持って訪ねてくれました。そして、そのなかの一人が「校長先生、食べて。感想聞きたいから。」と校長室のソファーの前のテーブルにそっと置いてくれました。「ありがとう!ではいただきます!」わたしの前には6人の子どもたちが大きな目をまんまるくして椅子に座っています。まずは、お味噌汁...ゴクン...(うまいっ)なかなかの味です。「先生、どう?どんな味?感想教えて。」わたしはもうひとくち飲んで話し始めました。「うん。なかなかだしがよく出ているね。お味噌が濃すぎないから、とっても煮干の香りがしてるよ。美味い!」「やったあ!」思わず歓声があがりました。「今度はご飯も食べて。」ご飯係りだった男の子が言いました。ご飯を口に一口二口ふくんで噛んでみました。これもいけるっ!「ふっくら炊けてるよ。なかなか味がある。これも美味い!みんなすごいなあ。」わたしはお世辞ではなく6人の料理人に最大の賛辞を贈りました。

「美味しいっていって喜んでほしい!」こんな5年生の愛のかくし味が効いた、この世界でたった1杯のご飯とお味噌汁。本当にご馳走さまでした!