August 2010 Archives

いよいよ、明日から始まります!

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 いよいよ、2学期が明日から始まります。友だちに会える!とウキウキしている子ども。あー気が重いなあ...もっと休みがほしい...と憂鬱な気持ちになっている子ども。いろいろでしょう。各クラスの担任は、教室の掃除も終え、配付するものを確認して、明日に備えています。どんな出会いの時間にしようか...子どもたちの顔を思い浮かべた担任の頃を思い出します。どんなに憂鬱な気持ちで登校しようと、明日帰るときには、「良かったあ!」「楽しかったあ!」という気持ちになって、帰ってほしいものです。

 みんな、元気で来てください。校門で待っています。

 私が小学5年生の時の習字の授業でのことです。担任の先生が習字も教えてくださっていました。いつも、先生が生徒一人ひとりに朱でお手本を書いてくださって、私達はそれを見ながら練習していました。その先生の字は普段からもきれいで黒板の字もノートに書いてくださる字もさすが先生という字です。毛筆の字も美しく特に朱で書かれた字は5年の私にとって輝いて見えました。その日、私はあまりうまく書けません。何度書いても思うようにいきません。ふと、私は朱のお手本を上からなぞってみようと思いました。なぞったのだから当たり前ですが、とてもきれいに書けていて自分でもびっくりするほどです。私はそれを持って先生の所に並びました。私の番が来て先生に見せると先生はいつものように丸をつけてくださいました。でも、私は自分の席にもどってからだんだん心配になってきました。「先生はきっと気がついている。あやまらないと。」という声と「先生は気がついてない。このまま黙っていよう。」という声が交互にします。迷ったあげく黙っているのに耐えられなくなった私は、授業の終わりのあいさつをした後すぐに先生の所に行って本当のことを言いました。日ごろから厳しい先生でした。きっとしかられると思っていたら、先生はにこにこ笑っておられました。私はその時「本当に恥ずかしいことをした。二度とこんなことをしないでおこう。」と思いました。
 子どもは時にうそをつくことがあります。1年間いっしょにいるとクラスにはいろいろなことが起こります。思い切って子どもが本当のことを言ってくれた時、私は「正直に言えたね。」ということにしています。「この人には、本当のことを言わないといけない。」と子どもが思ってくれる先生になりたいと思っています。まだまだですが、がんばっています。

 

5年生の子どもたちは、元気いっぱいでおしゃべりが大好きです。朝、教室に行くと大きな声で「先生、おはようございます。」とあいさつしてくれます。とても気持ちがよくなります。元気でかわいらしい子どもたちです。

新学期が始まって、しばらくすると球技大会があります。1・2年生はドッヂボール、3・4年生はパスゲーム、5・6年生は、バスケットボールをします。5年生にとっては、初めてのバスケットボールでの球技大会です。普段の遊びでバスケットボールをしたことのある子どももいれば、まったくしたことのない子どももいます。

体育の時間にバスケットボールの練習が始まると、数人の子どもたちが、「今年の球技大会は絶対優勝したい。」と話をしているのを耳にしました。なかなか「こうしたい。」と口にしない子どもたちの言葉を耳にして、「これはがんばって練習して、みんなの力で優勝したいな。」と指導にも力を入れようと思いました。球技大会までの体育の時間は、バスケットボールの練習です。シュート練習、パスの練習、試合と時間の限り練習しました。練習試合の中では、「どうして、ここにパスするの?」とか「どうして、シュートしないの?」などと試合をとめての指導。指導のあとの子どもたちの動きは、一段とよくなります。「その調子、そう上手。」などと言葉をかけると、もっと動きがよくなります。

球技大会の前日、どの子も明日の球技大会は優勝するといった意気込みでした。居残りをしていた何人かの子どもたちが、その意気込みを黒板に書いて帰りました。「絶対、優勝!」、「みんなで勝つぞ!」などたくさん書かれていました。

球技大会、当日。テンションの高い子どもたちは、わたしの顔を見るなり、「先生、絶対優勝しような。」と何人かの子どもたちが言いに来ました。わたしは、「今まで練習してきたから、みんなで力を合わせたら大丈夫!」というと、子どもたちは、最後の練習をしに運動場に行ってしまいました。

球技大会が始まると体育館は、子どもたちの熱気と歓声に包まれました。どのチームもいい試合をしました。わたしのクラスの一つのチームは、なかなか勝てず、休憩中に、そのチームの子どもたちがわたしのところへ来て、「先生、アドバイスをください。」と言いに来ました。なかなか勝てず、悔しかったようです。いくつかアドバイスをし、次の試合に送り出しました。しばらくすると、そのチームの一人が、満面の笑みで「先生、10点入れて勝ったぁ~。」、「先生のアドバイスのおかげ。」と言いに来ました。本当にうれしそうでした。わたしは、その子のうれしそうな顔を見て、子どもたちの持っている力をもっともっと引き出せるようにがんばらないといけないと思いました。

ある誕生日の思い出 (2年担任 島袋 君洋)

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担任1年目の去年、私は3年藤組の子どもたちを受け持つことになりました。とても明るく、元気なクラスで、子どもたちの笑顔に助けられながら、1年間を過ごすことができました。たくさんの思い出がありますが、その中の一つを紹介します。

本校では朝礼が始まる前の10分間、読書の時間を設けています。その間、教師はクラスにおらず、子どもたちだけで静かに読書をする時間となります。

ある朝、読書の時間が終わり、私がいつものように教室に入ると、子どもたちの「島袋先生、お誕生日おめでとう!」の声。黒板を見ると大きなケーキの絵が描かれています。「先生が職員室にいる間に、急いで描いたんだよ。」中心となってくれた女の子二人がクラス全員分のメッセージカードを渡してくれました。聞くと、図工の先生や他の先生にアイデアをもらい、私にばれないように準備してくれていたそうです。

「お誕生日おめでとうございます!いつも勉強を教えてくれてありがとうございます。」「これからもよろしくおねがいします。」「がんばってください。」心のこもったメッセージに胸が熱くなりました。次のようなメッセージもありました。「いつもがんばっている島袋先生のすがたを見ると、笑顔になります。」担任1年目の先生は、頼りないところもたくさんあったと思います。私には子どもたちが学校を楽しいと思ってもらえるようにがんばることしかできませんでした。そのことをクラスの子どもたちは感じてくれていたのだと思うと涙が出そうになりました。

教師をしていると子どもたちから毎日、たくさんの贈り物をもらいます。それは物だけではなく、子どもたちの笑顔や優しい言葉、成長の瞬間など、様々です。今年もかわいい子どもたちからの贈り物がたくさん集まってきています。

T子ちゃんを受け持ったのは2年生と4年生のときでした。T 子ちゃんは、とても優しくて、おとなしい子どもでした。お友だちとも仲良くでき、みんなからも受け入れられ、毎日楽しく学校に通っていました。

2年生のときはほとんど忘れ物もなく、きちんと宿題をしてくる子どもでした。わたしは真面目な子どもだなあと思っていたのですが、実はほとんどお母さんの助けによって、学校の準備などをしていたことがわかってきました。4年生になって、授業中の集中力ややる気がかけているように思えました。思うように成績が上がらないので、お母さんとお話したところ、学校の準備などにお母さんの手伝いがいること、また、自分で学習の計画を立てるということもできないということがわかりました。

そこで、まず帰ったら、お弁当箱を自分で出すこと、出さなかったらお弁当を作らないということをお母さんに宣言してもらいました。また、自分のことはできるだけ自分でさせること、お母さんが「早く早く」と追い立てないことなど、これまでの生活習慣を見直してもらうことにしました。

でも、今までお母さんの助けをかりてやってきたことを、自分でするということはなかなか難しく、なかなかうまくはできません。

「先生、日曜日の夜になってもかばんの中に体操服袋が入ったままなんです。どうしてできないんだろうと思うと、もう腹が立って、腹が立って...。子どもに体操服袋を投げつけてしまいました。」と、悲痛なお電話がかかってきたこともありました。でも、お母さんはあきらめずに、子どもの目線に立って、根気よく子どもに語りかけ、習慣づけるようになさいました。

やがて月日がたって、中学校に進学したT子ちゃんのお母さんからお手紙をいただきました。そこには、生き生きと勉強やクラブに励むT子ちゃんの様子が書かれていました。今まで勉強においても受身的だったT子ちゃんが、自分の目標を持って、頑張っていること、そうするとどんどん成績が上がってきたこと等、うれしい報告がありました。そしてそこには、「小学校の間、基本的な生活習慣を大切にしてきた結果だと思います。」という言葉が添えられていました。

 

 

一番心に残っている感動は、勤めて数年目の運動会での出来事です。

運動会ではどの学年の競技、演技も毎年工夫をし、熱が入った指導がなされますが、とくに6年の演技、「組み立て体操」は会場にいるすべての人が沈黙して見守る中での演技です。

午前の種目が終わり、午後の部が始まったころから雲行きが怪しくなり、どんどん空が暗くなってきました。「雨よ、降らないでくれ!」と祈っていたのですが、5年の徒競走の時にぽつり、ぽつりと空から大粒の雨が落ちてきました。これがひどくなれば、中止の判断が迫られます。徒競走が終わったときは、雨はやみかけていたので何とか続けて競技を行うことができました。

ところが6年の「組み立て体操」の直前に、バケツをひっくり返したようなものすごい雨がふりそそぎ、見ている間に運動場が大きな水溜りとなってしまいました。だれもが、もうこれで、中止になってしまう・・と思うほどの雨だったのですが、せっかく練習を続けてきた6年の演技を見てみたい、6年の子供にさせてやりたいという願いが通じたのか、雨はやがて小降りとなり、最後まで行おうという判断が下されました。

そのときです。小学校の教員全員が真っ先に飛び出し、学校中の雑巾とバケツをかき集めて運動場に運び、たまった雨水を取り除く作業が始まりました。やがて教員だけでなく、保護者の方々、来賓の方々までが動いてくださり、なんと運動会に来ていただいていた方々のほとんどがこの作業に協力してくださいました。おかげで、たまった水が少しずつなくなっていき、土の部分が見えるようになっていきました。数十分後には水たまりはほとんどなくなったのです。

さあ、作業も終わり、運動会が再開されました。いよいよ6年の組み立て体操です。水はなくなったものの、足元はぐちょぐちょの粘土のような状態です。そのなかを、6年は胸を張って、入場してきました。「組み立て体操」の一番初めは、笛の合図で、前に倒れる演技です。ピーッと先生の笛がなった瞬間、大歓声が起こりました。みんながいっせいにそろってたおれることが、綺麗に見えることはこどもたちは知っています。どの子どももためらいもなく、笛にあわせて、さっとできたことが、見ている人たちの心を動かしました。地面がどうのこうのということは、もう頭にはありません。その後も、練習してきたとおりに演技をこなしていきました。最後に終わったときには、どの子どもたちも白い体操服が茶色になってびしょびしょになっていました。大きな拍手と大歓声につつまれて、6年の子どもたちは退場していきました。 

このときの、教員、保護者、子どもたちとのすばらしい一体感が、今でも忘れられない思い出のひとコマとなっています。

 

 

 

熱くなっています。

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 高校野球もいよいよ、あと二日。もう30数年前の球児の心は今でも小躍りします。甲子園には遠く及ばない名もない高校でしたが、大会歌を耳にすると、あの夏が鮮やかに甦ってきます。実際にやっておられた方はおわかりだと思いますが、球場とくにベンチのなかは気温よりも4度から5度は暑く、蒸し風呂状態です。今年のように猛暑の大会は、本当に大変だと思います。当時は今のように水分をきちんと摂取しなさいという時代ではなく、飲んだらばてるから飲むな!と厳しく言われた時代でした。わたしのチームも大きなクーラーボックスに氷水を入れ、中に何十個ものトマトを冷やしておいて試合中にかぶりついたものです。

高校野球でいつも気になるのは、控え選手のことです。強豪になれば部員も100人を超え、3年間必死でやっていてもレギュラーはおろか、ベンチ入りもできない3年生もいます。ときどきテレビでも応援団長を申し出た3年の部員などがアルプススタンドで映りますが、そういった控えの選手にこそ、わたしは心打たれます。今朝も元箕島高校の尾藤監督さんが「ベンチ入りを申しわたすのが、監督として本当に辛い仕事でした。お互いの顔が見えない夕暮れになって伝えるのですが...伝えたあと号泣する子どもやうずくまって泣き伏している子どもがあって。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。」とラジオで話されていました。涙が出そうになりました。そこにこそ、高校野球の真髄があるように思います。また、そんな必死のプレーを支える審判の方々の自分への厳しさにも頭が下がります。かつて大学や社会人で活躍された方々が中心ですが、この期間は仕事も休んで宿舎に缶詰。一切酒も絶って、担当でない試合もすべて観戦し、毎日その反省会で技術の向上に努められるとのこと。教育者の鏡ともいうべき審判の方々のきびきびとした美しいジャッジも、ぜひともみなさんに見ていただきたいところです。

すみません。野球の話となるとついつい熱くなってしまいます。

 初めて本校で、1年生の担任になったときのことです。

 入学式で、1年生の名前を担任が呼びます。1年生のみんなは緊張した面持ちで、自分の名前がいつ呼ばれるか、こちらの顔を見つめていました。こちらも名前を読み間違えてはいけないと、緊張して呼びます。大きな声で返事できた子どもたちがにっこり笑うのを見て、子どもたちがこの大阪聖母学院小学校に入学できる日をどれだけ待ち望んでいたのかがわかり、こちらまで心が温かくなりました。

子どもたちは、毎日いろいろなことを発見して、日記にそのときの思いを生き生きと綴ってくれました。桜並木で見つけた、くわがたや蝉の抜け殻のこと。生活科で育てた野菜の苗が順調に育ち、花が咲き、実がなったこと。はだしの広場で遊んだことなど。

また、夏休みが終わり、運動会の練習が始まりました。小学校初めての運動会です。毎日徒競走や玉入れ、入場行進など、いろいろな練習をしました。その中でもダンスの練習には、特に力を入れてがんばりました。音楽は当時の人気アニメ「忍タマ乱太郎」の主題歌「勇気100%」です。子どもたちはこの曲を気に入り、毎日、体育の授業だけでなく終わりの会にも張り切って練習しました。やがて運動場で練習したとき、ダンスの中で膝をたててポーズをとるところがありました。運動場で膝をたてるのは、きっと痛かったのでしょう。でも誰も「痛い!」と言いませんでした。その我慢強さに感心したものです。

そのときの日記に、こんなことを書いた子がいました。

「今日、うんどうかいのれんしゅうがありました。はじめて、うんどうじょうでれんしゅうをしました。ひざに石があたっていたかったです。お母さんにはなしをしたら、『それはがんばっているあかしよ。』とお母さんがいってくれました。とてもうれしかったです。」

そのお母さんは、かわいそうにと言わず、その子ががんばっていることを大いに褒めてくださったのです。子どもたちが、1ヶ月にもわたる練習をがんばれたのは、こうしたおうちの方の温かい励ましがあったからだと思います。改めて子どもたちのがんばる力の源は、子どもを信じて温かく見守ってくださる保護者のみなさまのおかげだと痛感しました。

ある日の子どものあのね張です。

 

先生、あのね。あかあさんのおなかの中の赤ちゃんが六か月になりました。おかあさんのおなかに手をあてて、「おはよう。」「なにしているの?」「おやすみ。」と、わたしがこえをかけるとかならずポンポコポンと、おへんじをしてくれます。わたしは、そのことがとてもうれしくて、おもしろくて、ふしぎです。「わたしがおなかにいるときも、こんなふうにけっていたの?」とおかあさんにきくと「そうよ。」と、いろいろなおはなしをしてくれました。早く赤ちゃんが生まれてくればいいのにな。そして、わたしのこえがきこえていたのか、おはなししてみたいです。

 

何とも心が温まるあのね張でした。待ちに待った妹だったようです。学級通信に載せ、クラスの子どもたち皆と分かち合いました。この文章を紹介した後、自然と拍手が起こり、なにか教室にあったかい風が吹き抜けたような...そんな気持ちになりました。

まだまだ小さな子どもたちですが、生命(いのち)を感じると、安心したり、喜んだりできるのですね。それは、家族からの愛、友だちからの愛、神様からの愛など、たくさんの愛に包まれて育っているからだと思います。

これからも、人と人との関わりの中で、「相手の温かなこころ」を感じながら成長していってほしいです。そして私もそんな「こころ」を大切に育んでいこうと思っています。

 

ホームステイの思い出 (5年担任 前川 和生)

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7月30日 28人の5,6年生の子どもたちが、関空にて保護者の皆様に元気よく行ってきますと言ってお別れし、オーストラリアへ出発しました。途中のシンガポールでのトランジットではナイトサファリを見学しました。さて、飛行機を乗り継いで、31日、いよいよアデレードに到着。市内観光の後、学校でホストファミリーと対面し、にこやかに去っていったものの、その晩、ホームシックになる子もいました。しかし、暖かいホストの皆さんのおかげで何とか乗り切り、日曜日をホストファミリーと過ごし、登校初日(月)の下校時には、「先生、めっちゃたのしい!」という子もいました。でも、夜になると寂しくなるのかしくしくと泣く子もいました。次の日、私の「どう?」との声かけに「たのしい!」と返事をくれました。「じゃ、このまま残るか?」と聞くと「それはいや、お父さんとお母さんに会いたい!!」と言いました。いくら楽しくても自分の家族の事は忘れられず、深い絆を実感した様子でした。

 毎日の日記には、ホストと遊びに行ったりショッピングに行ったり、友だちを紹介してもらったり、料理を手伝ったり、ゲームを楽しんだりと、退屈しない様子が綴られ、私から見れば羨ましい限りです。夕食には手作り巻き寿司や茶碗蒸しまで登場しました。お寿司はオーストラリアで人気メニューの一つのようで、たくさんの巻き寿司屋さんがありました。

 授業も、滞在中の一週間は、St Andrew's Schoolの子どもたちと大阪聖母の子どもたちが交流を持てるものばかりになっていました。日本の学校では考えられない学校生活もあり、戸惑っているのは私だけで子どもたちはあっという間に順応していき、大変楽しい体験を重ねました。

 週の中程ではうまく意志が伝えられなかったり、言われていることが分からなかったりして、正直いらいらすることもあったようです。しかし、ホストの気遣いに感謝し乗り越えることが出来ました。最終日には、みんなホストファミリーとハグをして別れを惜しんでいました。

大阪聖母の子どもたちと過ごす毎日は感動や驚き、発見であふれ、日々子どもたちから教えられ、たくさんの刺激を受けています。そのなかでも、私の心に残った出来事を三つ紹介します。
 一つ目は、四月の三・四年生が一緒に行った天王寺動物園の遠足の時のことです。移動手段は、貸切バスではなく、京阪電車と地下鉄でした。私は、「こんなにたくさんの子どもたちが車内やホームで静かに過ごすことができるのかな。」と当日まで少し心配でした。しかし、そんな心配は無用でした。「この車両にこれだけの子どもたちが乗っているのに、こんなに静かにできるんだ。」と思いました。先生たちが注意しなくても、子どもたちはとても静かにお行儀よく過ごしました。これには本当に感心しました。

 二つ目は、本校は漢字の学習に特に力を入れています。毎日の漢字ノートの宿題に加え、三年生は週に二回の漢字テストもあります。その漢字テストは、二問間違えただけで再テストを受けなければなりません。とても漢字が苦手な子どももいるのですが、その子どもが再テストを受けて合格した後、「なんか漢字が楽しくなってきた!もう一枚テスト受けてもいいですか?」と言ってきました。合格した再テストをもう一度受ける、という意欲に私は頭が下がりました。少しずつでも漢字が好きになっていってもらえれば、と思います。

 三つ目は、六月に行われた球技大会のことです。三年生はパスゲームをしました。三年生になって初めて学んだ競技でしたが、試合の日まで、子どもたちは体育の時間だけでなく、共遊の時間もパスゲームをして、上手にできるように頑張っていました。どの試合も全員が全力で戦った球技大会。F組は見事優勝しました。これまでクラスで1位をとったことがなかったのもあり、子どもたちは大喜び。子どもたちの日記には、「初めて勝つことができてうれしかった。」「来年は、もっともっと上手になりたい。」などと書かれていました。改めて全力で頑張ることの大切さに気づかされました。

 キラキラと輝く子どもたちと過ごす二学期がどんな日々になるか、今からもう楽しみです。

頭が下がるできごとがありました。

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厳しい残暑です。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。今年の夏は、虐待や高齢の家族の死体放置のニュースが、連日報道されました。どうして目の前の「命」を、まして血縁のある家族の「命」を、そのように扱えるのか。深い悲しみとともに強い憤りを覚えられた方も多かったことと思います。特に高齢者の問題は、それぞれにさまざまな課題に直面されていて、考えさせられる方も多かったことと思います。まさしくわたしもその一人です。そんななか、帰省先の田舎で、心温まる言葉をかけていただくことがありました。盆の行事を終えて上京する直前、近所の先輩がわたしを訪ねてきてくださったのです。実は先輩は、お盆の一週間ほど前にお父さんを91歳で看取られたとのこと。わたしも幼い頃からかわいがっていただいたお父さんでした。「おっちゃん(私の父)には、葬儀でもほんまに世話になったわ。おっちゃんもだんだん足元も心配になるし、お前も心配やろう。近所でも注意して見てるから。何かあればすぐに連絡するからな。安心して仕事してこいよ。」本当に、思いがけない有難い言葉でした。父のことを家族のように思ってくださる気持ちが、びんびんと伝わってきたのです。ただただ頭を下げるしかありませんでした。

 

頭が下がる思いをしたできごとをもう一つ。昨日名古屋の地下鉄で見た光景です。外の蒸し暑さを吹き飛ばす冷房がよく効いていて、混雑していたものの、特に座っている自分には、快適そのものでした。やがて駅でひとりの腰が曲がったおばあちゃんが乗ってこられました。「変わるべきか?」と躊躇した瞬間、おばあちゃんの目のまえの若いお母さんが幼稚園くらいの男の子の手をひいてさっと立たれたのです。男の子も当然のようにニッコリ笑って席を譲りました。まわりは目をつぶって、知らん顔をきめこんでいる大人ばかりの中での爽やかな親子の快挙に、心から拍手をした次第です。

1学期終業式のことです。「のびゆくすがた」や宿題などを渡し終え、1学期にがんばったことをみんなで話し帰りのお祈りをし、「さようなら、2学期にみんな笑顔で会いましょう。」とごあいさつをしました。そのあと、私は、教室の戸のところに立ち、子どもたちが出て行くのを見ていました。「さようなら」「また二学期にね」とひとりひとりに声をかけていくと、子どもたちも「先生さようなら」と応じてくれていました。すると、一人の男の子が私の前で立ち止まり「先生、1学期ありがとうございました。」と深々と礼をしてくれたのです。うれしくなった私は「こちらこそどうもありがとう。そんなふうに言ってくれてうれしいです。」とこたえ、その子と握手をしました。それを見ていたほかの子どもたちも、同じように私の前で立ち止まり、「先生、1学期ありがとうございました。」と礼をし、握手をし始めました。一度、教室を出て行きかけた子まで戻ってきて同じようにしてくれたので、私の前には子どもたちの列ができていました。はじめにあいさつをしてくれた男の子、そして、それを見て同じようにあいさつをしてくれた子どもたち。1学期終業式という、一つの節目に気づき、そして、きちんとあいさつで表すことができる子どもたちに驚き感動しました。そして、この子たちの担任ができて幸せだな、また、2学期もこの子たちのためにがんばろうと、新たな決意をしたできごとでした。

1年生の担任になって (1年担任 橋本 悠里)

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『私にはママが2人いるの。』今年担任をしている1年生の女の子が、ある日私にこんなことを言ってくれました。私がどういうこと?と聞き返すと、その子は、『私にはお家にもママがいて、学校にもママがいるってこと!だって、先生は藤組さんのママやもんっ!』と言って、私にギュッと抱きついてきてくれました。間違えて私のことをママと呼ぶ子は今までに何回もありましたが、こんな風に思ってくれる子がいるというのを知り、なんだか恥ずかしいけれど、とても嬉しい気持ちになりました。
 また、こんなこともありました。宗教の時間、子どもたちにビデオをみせる前に、『今日はみんなが知っている、大好きな人がでてきます。』と言いました。するとある男の子が、『えっ、僕らの大好きな人って...先生がでてくるの?!』と満面の笑みでこちらをみていました。残念ながら先生ではないんだよと言うことを伝えると、その子は『なーんやぁ...。』と、とても残念そうにしていました。普通、低学年の子どもなら大好きな人と聞けば、テレビのヒーローなどを想像するのではないでしょうか。そうではなく、私を想像してくれる子どもたち。ニコニコした顔も、残念そうにした顔もとてもかわいらしかったです。

 1年生の担任になると決まった時に、『1年生にとって、担任の先生とは僕の私の先生なんだよ。』と言う話を聞きました。私はそれがどういう意味なのかをわかっていませんでしたが、子どもたちと過ごしていくうちに、だんだんと理解できてきたように感じています。1年生の担任として子どもたちと出会い、3ヶ月が過ぎました。毎日が新しい発見の子どもたちと、毎日悪戦苦闘しながら過ごしている私ですが、こんな風に私のことを大好きだと思ってくれる子どもがたくさんいるクラスの担任になれて、本当によかったなと思っています。こんな素直な子どもたちのいる温かいクラス。それが私の自慢です。

ホームステイも元気に帰ってきました。

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 「おかえりなさい!」昨日朝、オーストラリア・アデレードへホームステイの旅に出かけていた5・6年生28人が、元気に関西空港に帰ってきました。飛行機のなかでも眠れず、少し疲れた表情が目立ちましたが、「楽しかった。」「帰りたくなかった。」「またアデレードに行きたい。」と口々に充実した旅の思い出を話してくれました。

 到着の40分ほど前から、到着ゲート前にはお迎えのご家族のみなさまが、少しずつ集まってきてくださいました。「こんなに離れているのは初めてなので...母親のほうが駄目ですね。」と涙ぐまれるお母さん。「もう、この子が寂しいって泣いて...。お姉ちゃん子なんですね。」と低学年の妹さんの頭を撫でられるお母さんのお話を伺いながら、帰国を待つご家族にも、さまざまな12日間のドラマがあったことを感じました。どうかゆっくりと旅の疲れを癒してほしいものです。

 学校では、9日より本日までユースシアタージャパン主催「キッズシアタープログラム」を開催しています。これは1日6時間3日間の集中レッスンをとおして、英語によるミュージカルを作る取組です。本校の英語教育を担当するユースシアタージャパンは「英語は歌や動作化によって、より興味深く楽しく身につく」という理論のもと、指導を行っていますが、今回のプログラムには10人が参加。午後3時30分からの発表会に向けて頑張っています。

 

 今日が終わると学校も17日まで完全に閉鎖となります。子どもたちにとって、楽しい充実したお盆休みとなりますように。

平和とはほど遠い65年を思います。

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 今日は6日の広島に続き長崎の原爆投下の日。わたしの祖父の兄弟も爆心地にほど近いところで被爆し、あとかたもなく家族全員が消えてしまった話を実家にある墓地を掃除するたびに、父から聞かされました。65年とは、長いのでしょうか。短いのでしょうか。NHKで特集される戦争関連の番組を見ながら、そんな疑問がわきます。

昨日見た番組は、終戦後ソ連・シベリアで抑留され強制労働をさせられた多くの日本人の事実でした。70万人もの方々が収容所に入れられ、最終的に5万5千人もの方々が戦争も終わっているのに命を落とされたとのことです。わたしの故郷に近い舞鶴港が、帰還される港であったため、それなりに関心も高かったのですが、最終便が着いたのはなんと昭和31年。わたしが生まれるたった4年前だったとは知りませんでした。高度経済成長期の入り口で日本が急速に復興を遂げようとしていた頃、まだソ連には帰国をかなえられない方々がおられたのです。「戦争は歴史で勉強するもの。今の自分とは別世界のもの。」そんな無関心が、自分のなかにも根強く巣くっていることを痛感させられた瞬間でした。アメリカでは「広島で謝罪することは何もない。」という主張がメディアに登場し、慰霊祭に政府代表が出席したことを批判する意見があったことが報道されていましたが、戦争にあるのは、勝ち負けではなく人間が人間としての心を失う惨めさ、残酷さだけです。

 久しぶりに中継で見た国会の質疑で、沖縄普天間基地の問題になると、政府の答弁には、何度も「抑止力」という言葉が登場していました。「だから仕方がないのだ...」と。あれほど、全国に伝えられていた沖縄の人々の苦悩はどこにかき消されたのでしょう。いや、かき消したのはマスコミではなく、まさに本土に住む自分の無関心ではないか。

被爆された方々、抑留されていた方々、そして沖縄の方々。多くの方々の今の涙を見るたびに、65年間平和であったことは決して一度も無かった事実を、つきつけられる思いがします。

 ずいぶん以前の話になりますが、私が体調を崩して、入院したときのことです。ドクターに外出許可をいただいたので、家に帰りました。そして用事を終えて、今まさに家を出ようとしたとき、ドアフォンが鳴りました。

 誰だろうと外に出ると、そこには教え子がお母さんと一緒に立っていました。その教え子もそのころ体調が悪く、入院したり退院したりしていました。自分も体調が良くなく、しんどいのに、わざわざ私のことを心配してお見舞いに来てくれたのです。遠路、家まで来てくれたその子の深い思いやりを今でも忘れることができません。

また、たまたまその日家に帰ったわけですが、家を出る時間がもう少し早かったら、またその子がもう少し後に家に来ていたら、この出会いはなかったと、この偶然のできごとに私は人のはからいではないものを感じました。

 私は、担任ではありませんので、一週間に2・3時間、子どもたちと勉強するだけですが、入院中、たくさんの子どもたちがお見舞いの手紙やはがきをくれました。 聖母の子どもたちは、本当にやさしい子どもたちです。そんな子どもたちが私は大好きです。

 今も体は強くありませんが、子どもたちの笑顔と明るさに支えられて、生かされた命を一日一日感謝しながら、大切に生きています。

 

私の好きな聖歌を紹介します。

 

この時 この日の この命を

主のために 大切に生きていたい

ふたたび 帰らぬ めぐみの日を

主とともに 主のうちに 生きていたい

 

神から受けた 愛のすべてを また主に返し

多くの人と 同じ心で 主の喜びを

 

 本校では『みつけノート』と呼ぶ、スケッチを1週間に1枚描いてくるという図工の宿題があります。絵に良し悪しはありませんが、提出したスケッチの中でこれは大変よく頑張ったというものは、「ホームラン」と称してみんなの前で紹介され、校内に掲示されます。これが、子どもたちには大変誇らしく感じられるようで、ホームランを取った時の満面の笑みと、みんなに紹介される時の緊張した表情はいつ見てもかわいいものです。 この「ホームラン」は言わば、その子ども自身の個人賞です。
 またこれとは別にもうひとつの「花丸」というものがありまして、これは宿題であるみつけノートが全員提出できたときにクラスでひとつもらえます。図工室のホワイトボードにはクラスの名前が並んでいて、そこにどんどん花丸が増えていくのです。ですから「花丸」はクラスの団体賞にあたるわけです。「花丸」がとれた時の喜びはとても大きく、教室に歓声が沸き起こります。逆に、取れなかった時は、忘れた子を非難するわけでもないのです。そこが聖母の子のやさしいところです。

 今年の子どもたちはどのクラスも順調に花丸を取って、1学期を終えることができましたが、もう卒業した高学年で、1学期に花丸がほとんど取れなかったクラスがありました。しかも、宿題を忘れるこどもたちが数多く、このクラスにとって、「花丸」はどうせ取れないもの。取れなくても何とも思わないものになってしまっていました。

 こんな事では続けていくのは至難の業。だからと言って、このクラスだけ止めてリタイヤさせたくない。何よりバラバラなこの子どもたちの気持ちを何とかして1つの方向に向けてやりたいと、担任の先生と相談しました。そしてその考えを子どもたちに伝えました。考えた方法は、みつけノートの提出を2日早めること。1回で揃わないのだから、揃えるチャンスを増やす。だけど最終的に全員揃うのは他のクラスの子どもたちと同じ日になるようにするといものです。それだけではなく、今まで以上に私と担任の先生、そして子どもたちで声もかけあいました。

 2学期になり、どんどん忘れる子どもたちは減り、2学期後半から3学期には、なんと一度も忘れることなく花丸が埋め尽くされました。花丸を取れないことに、やっと「悔しい」、取れる事に「うれしい」「楽しい」という反応がクラスに芽生えてきました。

 それだけではなく、ひどく手を抜いていることが分かることもあったスケッチの中身もどんどん良くなり、今までホームランを取った事がない子たちも、どんどんホームランをとるようになり、ホームランの数でも一番になりました。これには私も驚きました。

 「先生、最初は全然あかんかったけど、このクラスはええクラスになったやろ。」ある子がうれしそうに、誇らしげにそう話しかけてくれたことがとても印象的でした。

 私はこの事で、子どもたちの測りしれないエネルギーの大きさと、指導においてそのエネルギーを向ける方向を教えることの大切さを大いに学びました。
 図工で宿題が毎週ある学校は他にはないのではないかと思います。日々の勉強で忙しい子どもたちの負担にもなっているのは承知の上ですが、子どもたちの得る力の大きさを知っている以上、続けていきたいと思っています。私も担任の先生より接点が少ない分、子どもたちのスケッチから少しでも気持ちを読み取り、交換ノートをしている気持ちで楽しく見させていただいています。


プチパの子どもたちも元気に活動しています。

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 人影の少ないキャンパスに、元気な子どもたちの声が響いています。プチパに通う子どもたちです。プチパは昨年より始めた学童保育。従来の学童保育とは、一味も二味も異なるさまざまな楽しい体験が出来る空間でありたいとの願いを込めて、その名もフランス語で「一歩、一歩」を表すプチパと名づけました。年間を通して利用される方のほかに、保護者のみなさまがどうしても今日預かってほしいのだけれども...というニーズにお応えして1日単位で予約利用していただける「スポット登録」をされる方も急増しています。

 夏休みに入ってのプチパの一日は、涼しい教室での勉強から始まります。プチパのスタッフに加え、本校の教員が9時から11時まで、宿題の指導をしたり、それぞれの個性を活かして楽しい授業をしたりします。午後からは、子どもたちが工夫してみんなで遊びます。先日も桜並木で蝉取りをしていました。「先生...、蝉って噛む?怖いけど、捕まえて...」と1年生の男の子。虫の大好きな子どもも多い一方で、触ったこともない子どもも増えています。「ほらっ!」手で蝉を捕まえて目の前に見せてあげると、「キャー、わあっ、おしっこかけられた!」と大騒ぎでした。早速6本ほど虫取りの網を届けました。

 昨日は午後からのぞくと、3年生の女の子ふたりが司会をしながら、○×クイズをしていました。「メダカの子どもはオタマジャクシである!○か×かあ?」すると、1年生や2年生、そして3年生の男の子ら10人ほどが、「ばつ!」と両手でサイン。「正解でーす!」の声に大喜び。どうやら、3年生は、1年生や2年生を喜ばせてあげようと、お父さんにまで協力してもらって、たくさんの問題を考えてきたそうです。ノートにはびっしりと、問題が書かれていました。とても和やかな雰囲気に心が温かくなりました。まさに「プチパ」の願いが実現しているひとときでした。

 このプチパでの時間が、大切な夏休みの楽しい思い出の1ページとなるよう願っています。

日々、感動です! (4年担任 西村 淳)

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本校では、月曜日の全校朝礼の時に、学年の音読発表会があります。4年生は、6月に蒔田晋治さんの「教室はまちがうところだ」の発表をしました。今年の学年にとって、最初の音読発表会。まちがいを恐れず、大きな声で元気よく発表することを目標にしました。

 学年にある3クラスで、それぞれ練習をして、学年全体で合わせていくことになりました。私のクラス桜組は、最初教室で練習をしていました。声も出ているし、元気もあるけれど・・・いやいや、桜組はこんなものではないと思い、大運動場にいって練習することにしました。4時間目のお腹がへる時間帯。この日は快晴で、気温も高い中、子どもたちの声が大運動場に響きわたりました。

 今回の音読発表の教材には、一人で発表するところと、全員で声を合わせて発表するところがありました。私の「オッケー。」がでるまでは、次の人に回りません。子どもたち一人ひとりが全力で発表しました。時には「オッケー」がなかなかもらえず、下を向きそうな子がいると、「がんばれ!」とクラスのみんなが励ましていました。最後は全員で発表するところです。大運動場いっぱいに離れ、子どもたちと私の距離は約100m。私が大声で「オッケーが出るまで終わりません!」と言うと、「よっしゃ!がんばろう!」という子どもたちの励まし合いが遠くから聞こえてきました。

最後の発表が始まりました。1回目、2回目「オッケー」が出ませんでした。4時間目の終わりのチャイムも鳴り、3回目の発表。「...そんな教室作ろうやあ!」それは見事な素晴らしい発表でした。心の中では決まっていましたが、少し悩んでいるふりをして・・・5秒ほど間をとったあと、「オッケー!」と叫びました。その瞬間、子どもたち全員が「やったー!」と全速力で私の方に走ってきました。「これは、ドラマで見た感動のシーンではないか!」と心の中で思い、待ち構えていました。すると・・・F1カーのように私の横を通りぬけていきました。子どもたちの目的は、教室にあるお弁当だったようです。自分の勘違いに思わず笑ってしまいました。

 子どもたちの全力投球の姿に日々、感動しています。子どもたちとともに何事にも本気で取り組めるクラスを作っていきたいと思います。

 6年桜組で「私の学校自慢」という作文を書きました。子どもたちには、たくさんの学校自慢があります。歴史ある校舎、たくさんの遊び場所、恵まれた自然・・・。そんな中で、とても個性的ですてきな作文を書いてくれた女の子がいました。このような子どもたちが聖母で育ってくれていること。それが私たちの一番の自慢です。

【以下、子どもの作文です】


 私が聖母に入学する前に、ランドセルを見たとき「ピカピカ」とか、「やったー」と思う前に、「どうして茶色なの?」と思いました。今まで赤いランドセルを夢見ていたのに。そのとき、母は「6年生になったら、茶色いランドセルでよかったと思う日が来るよ」といわれました。まだ小さい私は、その言葉の意味などまったくわかりませんでした。ずーっと不満をいだきながら、毎日学校に通学していました。


 今、私は6年生となり、聖母に入って6年という長い年月が過ぎました。高学年になるにつれて、だんだん小さなころに聞いた母の言葉の意味がわかってきました。母が私のために言ってくれたということが。1年生は赤いランドセルがいいと思うかもしれないけど、大きくなるにつれて茶色という独特な色が聖母という学校の「シンボルマーク」なんだということに気づきました。


 やがて、茶色ということが聖母の誇りだと思えるようになりました。制服も同じです。制服を着ると、「聖母の子」という自覚をもてることを、とてもうれしく感じられるようになりました。


 これから入ってくる1年生の中に、私と同じ不満を抱いた子には、今の話をしてあげたいな。そして6年生になったとき、その子も私のようにこの言葉の意味をわかってほしいです。


 聖母の制服、靴、帽子、ランドセル・・・。みんな聖母の子の印です。目に見えるものだけでなく、生徒が誇りをもって学校に通うことが、大阪聖母学院小学校の自慢であり、私の自慢でもあります。私はこの学校に入ることができて、とっても良かったと思っています。

昨年度の音楽会で6年生の第一声を聴いたとき、心がぎゅっとわしづかみにされるのを感じました。彼らの後ろにいたにも関わらず、私の心に彼らの声が直接響いてきました。そして、彼らに続く全員の声が、心が、ひとつにまとまっているのを肌で感じたその瞬間の涙がとまらないほどの感動を、今でも鮮明に覚えています。

子どもたちの歌う姿、表情、声が、私は大好きです。

入学したばかりの子どもたちは、周りの様子を伺いながら、でもマイペースに、少し緊張した声で歌います。その声が、日に日にお友だちを知り、仲良くなるにつれて、まとまり、パワーを増してきます。1年生の初めての参観で、「幼稚園のときには歌わなかったわが子が、今日楽しそうに歌っているのを見て驚きました。」という感想をいただいたことがあります。それは、その子ども自身の成長であると同時に、周りのお友だちの支えがあってこその結果だと思います。

声を出すことが苦手な子どもも、お友だちと一緒なら声が出るようになります。音を正確にとることが苦手だった子どもも、お友だちと一緒に歌っているうちに上手になっていきます。お友だちといるからこそ、成長していくパワーには、目を見張るものがあります。

日々の歌はもちろん、毎年行われる音楽会は、お友だちの存在なくしては成り立ちません。「心を合わせ、ひとつのものを作り上げ、表現する」、そのお手伝いができること、そばで立ち会えることは、教師として最高の幸せです。子どもたちが、お友だちとともに精一杯声を出すこと、音を出すことの喜びを、幸せを、小学校生活の中で感じてほしいと願いながら、子どもたちとともに音楽を奏でています。

本校の保健室は1階の昇降口からすぐの場所にあります。小さな保健室ですが、1日の来室人数は約40~50人、多いときは100人を超えることもあります。

 保健室を訪ねてきた子どもたちの訴えは実にさまざまです。「先生、しんどい。」「血が出たぁー。」「絆創膏ください。」「先生、湿布はってぇー。なんで、はってくれへんの?ケチ!」「先生、○○君が吐きました。」等々。時には、「先生、この子骨折してんねん。」と羽をけがした雀を手にやってきた子どもや、足のとれてしまったクワガタを持って来た子もいました。この他にも、「ハーフパンツのゴムが切れちゃった。」「先生、地理の問題出して!」等々、ケガや体調不良以外の理由で来室する子どもたちもたくさんいて、とてもにぎやかな保健室です。

 ただ、子どもたちにいつも言い聞かせているのは、「しんどい子が優先だよ」ということです。体の調子が悪い子ども、熱のある子どもがいるときは、急ぎの用事がなければすぐに退室することになっています。ある意味で、電車やバスの優先座席と似ています。子ども達も、それをとてもよく理解しているので、「先生、今、寝てる子いてる?じゃあ、早めに出て行くわ!」としんどい友だちを気遣ってくれます。そんな時には本当に嬉しくなります。つくづく思いやりの心が育っているなぁと、温かい気持ちになります。

 これからも、子どもたちと一緒になって、保健室作りをしていきたいと思います。

1年生に入学された当初は、ご本人もご家族にとっても何かと不安なことが多いことと思います。毎日の電車・バスによる慣れない登校。なかには乗り換えをしながら、一時間以上かけて通ってくるお子さんもいます。しかし、心配はいりません。なぜなら、同じ方面から通う6年生が、待ち合わせの場所と時刻をあらかじめ決めておき、毎朝お迎えをし、一ヶ月の間、慣れるまで連れて行ってくれるからです。特に初めのうちは、校門をくぐってからも教室まで一緒に付き添いながら、靴箱の場所や靴の入れ方、ランドセルや帽子のしまい方まで、こと細かにお世話をしてくれます。

1年生にとって6年生は、何でも話せる、信頼のできる上級生なのです。そして、6年生にとっては、1年生に慕われれば慕われるほど最高学年としての自覚を高めていくことができるので、お互いに良い関係を結ぶことができます。

こうして1年生はしてもらって嬉しかったこの思いを、6年後の1年生にそっくりそのまま返します。その時は、きっと惜しい1年生の頃を思い出しながら新入生を迎えてくれるのだと思います。

今年、私は1年生の担任です。この4月も、6年生の子どもたちには随分お世話になりました。通学途上だけを考えても、途中で気分が悪くなった子もありました。鼻血を出した子もありました。車内でのマナーがまだ十分理解できていないやんちゃな男の子たちもいましたが、その都度、6年生が上手に面倒をみてくれました。香里園の駅からは小さな1年生の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれました。きっと、早く行きたかった日もあったことと思います。また、1年生の中には、甘えて無理を言った子もあったかと思いますが、6年生が上手に対応してくれたのでしょう。何一つ問題が起きることなく、そして、誰ひとり嫌な顔をすることなく、最後まで優しく責任を果たしてくれました。

1年生は、6年生のお兄さんやお姉さんが大好きです。いつか自分も大きくなったらこんな優しい頼りになる上級生になりたい「ぼくたち、わたしたちの憧れ」の存在です。そして、今年も1年生の親御さんから6年生へ「ありがとう」の感謝のお言葉をたくさん頂きました。

私は毎年、これは、どこの学校にも負けない聖母の素晴らしい伝統だなと感じています。この伝統をいつまでも大切に守っていくために、日頃の学校生活のなかで、周りの人々への気配りを忘れず、とくに弱い立場におかれた方々のことをまず考えて行動できる人になれるように子どもたちと接していきたいです。

 

 4月から始まった新学期。新しい学年・クラス・お友だち・学習...と子どもたちにとっては様々な新しい出会いがありました。このような中、私もクラスの子どもたちとの出会いが始まり、1学期がスタートしました。毎日、クラスでの生活は、新しい発見の連続でした。授業中、毎回のように意欲的に発言する子ども・休み時間に「先生!一緒に遊ぼお!」と声をかけてくる子ども・言葉は交わさないけれども目が合うとニコッと笑顔で挨拶をしてくる子ども...と一人ひとりの様々な素敵な一面と出会いながら過ごす毎日は、とても新鮮で幸せです。

そんな中、ある一人のお子さんの成長に立ち会った出来事をご紹介します。そのお子さんは穏やかでおとなしい笑顔がとても素敵なお子さんでした。授業に関しても真面目に取り組み、最後まで諦めない頑張り屋さん。けれども、授業で発表をするのが苦手なのか、どうしても自分から発表のときに手が挙がりません。私は1学期中に1回でも、その子ども自ら何とかして手を挙げて発表してほしいと願っていました。しかし、やはり30人という大人数の中だと恥ずかしいのでしょうか。どうしても手は挙がりませんでした。

 そんなある日の、帰りの会。今日1日の学校生活の中でうれしかったこと・楽しかったこと・友達にこんなことしてもらいうれしかった...などというテーマで一言発表をしている時でした。その頃は、理科の授業で種から植物を植えるという授業をしている時でもあり、それに関連する発表をする子どもも多くいました。その時です。「あっ!」わたしの目線の先で、何とそのお子さんが自分から頑張って手を挙げているではありませんか。そして、「自分の植えた種が、発芽してとてもうれしかったです。」と小さい声ながらも発表したのです。「やった!」私は思わず心のなかで叫んでいました。そして勇気をふりしぼって初めての発表をした姿に感動してしまいました。

 教室には毎日、子どもたち一人ひとりの成長が溢れています。担任として、このような成長に立ち会える幸せを今、実感しています。夏休みが終わると2学期の始まり。この夏休みにまたひと回り大きく成長した子どもたちに出会えることを、心から楽しみにしています。