December 2010 Archives

クリスマスおめでとうございます

|

 昨日は合唱団によるクリスマスキャロルが、午後2時から、守口京阪デパート入り口でありました。応援に駆けつけてくださった保護者の方々もふくめ、会場のステージのまわりは開演前から満員。背伸びして子どもたちを見つめる方々も数多く見られました。次々にクリスマスソングが会場に響きわたり、あたりは一気にクリスマスの雰囲気に...。会場にはもう卒業して8年ほどになる一人の大学生の姿がありました。「いやあ...懐かしいですね...。小学校以来歌っていないんだけれど、歌が出てくるものですね。来て良かったです!」最後列で口ずさみながら彼が楽しんでくれていたのが印象的でした。街行く人に可愛い歌声をお届けできて本当に良かったです。

 そしていよいよ今日はクリスマスイヴ。子どもたちが聖母で学んだ「サンタになろう!」をおうちや街で実践してくれていることを願いつつ。

みなさん、どうか良いクリスマスをお迎えください。

今日は、副校長の藤原がこのブログを書かせていただきます。

昨日のブログで赤野校長がご紹介しておりました『クリスマスセアンス』。今日はいよいよ本番です。9時半開始の予定なのですが、聖劇隊や2年生のかわいい天使たちは衣装の準備、合唱団は美しい声を出すために発声練習を早くからしていました。

全校児童が着席し、いよいよ始まりです。舞台の右横に設置されたひな壇に並んだ合唱団の歌声から始まりました。曲は『しあわせなかたマリア』で、ア・カペラで歌うやわらかい声は会場にひろがっていきました。聖書朗読をする役の子どもがゆっくり朗読したあと開幕です。舞台の上では、マリア様、大天使ガブリエル、ヨゼフ様、羊飼い、宿屋などそれぞれの役を演じ、朗読と演技、歌声のコラボレーションです。合唱団の6年生は自主的に独唱を希望したそうで、交代でマイクの前に立って美しい声を響かせてくれました。おそらく緊張もしたと思うのですが、のびのびと響くその歌声を聴いていると、自信たっぷりのようにも聞こえました。(うらやましい限りです。)合唱団で場を重ねるたびに上手になっていくのだと思います。下級生もきっと憧れの目で見ていたことでしょう。

東の国の博士達が、明るく光る星に導かれて、救い主イエス・キリストの誕生を祝うためベツレヘムにやってくる場面では、ベルナッテホールの後ろから厳かにゆっくりと中央を進んできます。そして、博士のあとには各クラスの代表児童が続き、待降節の間一人ひとりが実践してきたことをカードにしてお捧げしました。

聖歌隊は合唱団だけではなく、6年生が全員で聖歌隊を務め、ホールの最高方から声を響かせました。

はじめてクリスマスセアンスの参列した1年生は、一生懸命舞台を見たり、朗読を聴いていたりしていたようです。(内容は解らないことも多かったと思いますが)「サンタクロースにプレゼントをもらうのではなく、ぼくたち、私たちがサンタクロースになって、まわりの人々にプレゼントを贈ろう」という合言葉で実践を進めてきたこの4週間。本当のクリスマスの意味が、今日の聖劇でみんなに伝わったと思います。そして、これからもずっとその思いを持ち続けてくれることを願います。

 

明日はクリスマスセアンスです

|

 今日は12時半から明日のクリスマスセアンスのリハーサルを行いました。5年生が中心の聖劇隊と2年生の天使隊による聖劇。そして6年生による聖歌隊と合唱団によるコーラス。暗く静まりかえったベルナデッタホールが祈りに包まれました。特に聖劇隊の子どもたちは、何日もかけて練習を重ね、ふりつけや台詞を覚えてきました。「ようやく、みんなの気持ちがひとつになって、心のこもった良い劇に仕上がってきました。」とは指導の田畑教諭。例年以上の人数で迫力を感じました。また合唱団は聖歌で綴る本校のセアンスをリードしていきます。今年はソロのパートで何人もが歌い劇を盛り上げます。

 しかし、一番肝心の出演者がリハーサルには不在。そう、全校の子どもたちです。待降節の間、目標を掲げて実践を行ってきたお捧げこそが、一番のセアンスのクライマックス。みんなの心のこもった温かいクリスマスセアンスにしたいものです。

今日は聖母女学院中学校の面接試験です

|

 「緊張するわ。絶対かんでしまう。どうしよう。」6年の女の子が朝、話しかけてきました。今日は聖母女学院中学校の面接試験です。1ヶ月ほど前、校長室を模擬面接会場にして6年全員に面接練習をしました。今年の6年生らしさとでもいうのでしょうか。ガチガチに緊張して練習にのぞんでいました。受験する子どもたちの健闘を祈るばかりです。

 その練習で「将来どんな仕事につきたいと思っていますか?」という質問をしました。「内科の医者になって、難病で苦しんでいる人々を助けたいと思っています。」「キャビンアテンダントになり、お客さんに親切に笑顔で接したいです。」「漫画家になって、たくさんの人を楽しませるような作品をかきたいです。」「俳優になって、映画やテレビにたくさん出演し活躍したいです。」「政治家になって、困っている人のために働きたいです。」もちろん準備をしてきての答えではありますが、自分の子どもの頃と比べると、子どもたちの夢の具体性にびっくりします。わたしの場合は、とにかく高校野球で甲子園に出てプロにでもなれたらなあ...なんて今思うと恥ずかしくなるような夢を漠然ともっていたように思います。中学校も高校も地元の学校にほぼ全員が進学する地域だったので、本当にのんびりしたものでした。それに比べると、私学の子どもたちは受験のたびに、「将来どんな道に進もうか」とずっと常に意識して進路選択をしていくのかもしれません。これはこれで私学の大きなメリットでもあると思います。

 同じく小学校入試でも面接があります。そんななかでも、ほっと心が和む瞬間があります。「ここまでどうやって来ましたか?」「えっと...お母さんと手をつないで来た!」(電車でとかバスで、という答えがほとんどのなかで、キラリと光る答えでした。素晴らしいですよね。)「家で一番楽しい時は?」「鍋食べる時。あんな。うち、一週間に一度は鍋するんやけど...みんなようしゃべるで!」(楽しく温かい家族の雰囲気が伝わってきますね。)子どもらしいでしょう。結局のところ、大切なのは子どもらしい暮らしの中身なのだと感じます。

素敵な朝のおすそわけです

|

 「この冬一番の冷え込みです。」こんな言葉に、わたしも今期始めて手袋をつけて校門に。そこへいつも明るい挨拶を並んでしてくれる1年生の女の子ふたりが登校してきました。ところが何故か二人の表情がさえません。「先生、あんな、○○さん、手袋を落とさはってん。」ひとりが友だちの顔を心配そうに覗きこみながら話してくれました。「そりゃあ、大変だ。こっちにおいで。」と二人を校門の中に入れてお話を聞きました。「紺かばんのところに入れてたんだけど...気づいたら一つしかなくて...。」手にはあったかそうな手袋が片方だけありました。「駅から出たときは、どうだったの?あったの?」「あった。」「お名前は書いてあった?」「うん。書いてある。」手袋の内側にはおうちの方が丁寧に縫いつけられた名前がありました。「困ったね。でもきっと見つかるから。大丈夫。先生探してくるから。」この冷たい朝。おうちの方に買ってもらった手袋が見当たらず、駅からどんな思いで香里の坂を歩いてきたんだろう...。そんなことを思い浮かべながら、とにかくわたしは駅に歩き出しました。登校してくる子どもたちとすれ違いながら、道端を探しますがどこにもありません。そこへ3年生から有力情報が。「そういえば階段下に、ひとつ落ちてた!」急いで急行しましたが、やはりありません。出勤してくる先生たちにも協力してもらって、目を皿のようにしてまた学校へ。しかし結局見つかりませんでした。「出てこなかったら、悲しい思いで今日は帰らなきゃいけないなあ...。」女の子の困った顔が頭をよぎりました。「ごめん。見つからなかったんだ。」と伝えるために教室に入ると...。「見つかった!」と彼女の満面の笑顔が飛び込んできました。「良かったあ!良かったなあ!」わたしも笑顔がはじけました。どうやら少し後から登校してきた同じクラスのお友だちが、落ちていた手袋に気づき、名前を見て届けてくれたそうです。届けてくれた女の子にも「ありがとうな。良かった。ありがとう!」とお礼を言いました。

 落として困っていたときに、同じ1年生がちゃんと拾って届けてくれた体験。彼女にとっては素晴らしい朝になりました。また拾ってくれた女の子にとってはさらに気持ちの良い体験だったことでしょう。大人の社会がすっかり忘れてしまっている「人間を信じることの大切さ」を教えられた朝となりました。

改まった挨拶を大切にしたいものです

|

 今日で普通授業は終わり。明日からは短縮授業となります。朝の校門での挨拶をしていて変わってきたなあと思うことがあります。以前にも書きましたが一旦立ち止まっての立礼ができる子どもが増えてきたことです。考えてみますと、改まって挨拶をするという機会も生活のなかでどんどん失われてきています。一日に一回でも、きちんと両足を揃え体をとめて「おはようございます。」とお辞儀をするという習慣はぜひとも身につけさせたいもののひとつです。

 挨拶で思い出すのが我が家の元旦の挨拶です。この日は何故か家族中早起きをしなければならない特別な日でした。準備が整い家族が掘り炬燵のまわりに勢ぞろいすると、年長の祖母へ。次に父へ。さらに母へとひとりずつ正座をして両手をつき挨拶するのが我が家の慣わしでした。少し照れくさいような、正月の恒例行事でした。学生時代、入っていた野球部でも、ここぞという場面では改まった挨拶が習慣でした。「おはようございます。」「こんにちは」はすぐに身について言えるのですが、良かったと思うのは、合宿での就寝時です。わたしのチームでは監督やコーチの部屋を伺い、きちんと正座をし両手をついてお辞儀をし「おやすみなさい。」と挨拶することになっていました。家族でも「おやすみ!」と言うことはあっても、正座して挨拶したことはなかったので、慣れるまでは少し照れくさかったのを思い出します。しかし、今となっては素晴らしい習慣だったなあと感じます。仕事で同僚や先輩と同じ部屋で宿泊するときにも、この作法はわたしの中で生きています。

 おうちではどのくらい元気な挨拶が家族でかわされているでしょうか。「おはようございます。」「おはよう!」、「行ってきます。」「行ってらっしゃい。」、「いただきます!」や「ありがとう!」、「ただいま。」「お帰りなさい。」そして「おやすみなさい。」それぞれのご家族に応じて明るいフレンドリーな挨拶が飛び交うことは素晴らしいことだと思います。そして、時々はきちんと正座をしたり気をつけをしたりして改まった挨拶をすることも、とても大切な子どもたちの財産になると思います。

土曜日は「さくら会」の集まりがありました

|

 先週土曜日のことです。本校の同窓会「さくら会」の総会が開かれました。委任状参加が多かったため、実際に母校に足を運んでくださった方は20人ばかりでしたが、卒業以来始めて帰ってきてくださった方もあり、「ぜひとも校内を歩かせていただけませんか。」との声に応えてご案内をする機会がありました。

 まずは『はだしの広場』。「もうここで、どれだけ泥んこになって遊んだか...。洗濯が大変だと母親にぼやかれたものです。」「どんどん、ここで穴掘って...いやあ懐かしいなあ。」20代後半の男女が目を輝かせて遊具によじ登りました。うんていにぶら下がる男の子もいます。ここが世代を超えて思い出の場所の一番であることを感じました。次は『1年教室』。「わあっ小さあ!先生、座ってみていいですか?」何人もが1年生の席に座り、入学した頃を思い出していました。1年の教室の黒板の上には朝や帰りのお祈りが紙に印刷して掲示されています。「これ、今も同じなんですか?」口々に唱える子どももいます。「めでたしのお祈りや主の祈りって、まだ言えるで。」と誰かが言うと、「めでたしせいちょう、満ちみてるマリア...」と以前の文語調のお祈りが教室に響きました。すらすら出てくるものです。そして2階の『理科室』。「この匂い...変わってへんわ。」「よう実験中に長友先生に叱られたなあ。」「先生、この椅子。確か木でできた四角い椅子でしたよね。」昔あった椅子まで正確に覚えています。3階の『図書室』も懐かしさをかきたてるようで、「まだあるやん。この四角いクッション。」と何人もの同窓生がいろいろな場所に座り込みました。なかには貸し出しカウンターに立って、図書カードに見入る人もありました。最後はやはり『聖堂』。「ちっとも雰囲気が変わってませんね。」「落ち着きます。」との声。同窓生にとってはやはり特別な場所でした。

 「ただいま!」といつでも温かく、在校当時と同じようにお迎えできる学校でありたいと願いつつ、それぞれに向き合っている人生の辛さや厳しさに、どうか負けずに立ち向かってくれ!そう祈りながら同窓生の背中に合掌しました。

「自分から」を大切にしたいものです

|

 本校に赴任した頃のある日の昼食の時間のこと。その日はちょうど「おにぎり弁当」の日でした。本校ではお弁当のおかずを辛抱するかわりに、ひとにぎりのお米を家からビニル袋に入れて持ち寄り、全校で集めて釜が崎の炊き出しのために供出する「お米ひとにぎり運動」を永年行っています。ところがわたしの高学年のクラスは半分以上の子どもは、普通のお弁当を食べていました。「みんな、おにぎりを持ってこないとあかんのちがう?」そんなわたしの率直なつぶやきに対して、一番前に座っておにぎりを食べていた女の子の言った小さな声での言葉は、今でも忘れることができません。「みんな、持ってきてへんからええんやんか。先生、自分からおにぎりを持ってくることに意味があるんやで。」なるほど...わたしは感心しました。

 今朝は、待降節に入ってから2回目の祈りの集いが聖堂でありました。始業前の7時50分。子どもたちはまさに自主的に聖堂に集まってきます。前回の金曜日は矢野神父さまの司式でしたので、多いだろうなあと思っていましたが、聖堂うしろの座席まで満席。熱気にあふれた会でした。今日は3年の下野教諭の司式。しかし、どんどん席は前から埋まり、やはりうしろの座席まで満席になりました。「華やかなクリスマスではなくて、お生まれになるイエスさまが一番喜んでくださるクリスマスにしましょう。そのためには、まわりの人のために自分の力を使うことです。」聖堂には、本校教員の半数以上の16人もの先生たちも、子どもたちと一緒に参加していました。朝のひとときを子どもたちも先生たちも心静かに下野教諭の話に真剣に耳を傾ける...この熱気こそ、本校がカトリック小学校である原動力だと感じます。

 誰から強制されるわけでもなく、自分からこの祈りの場所に足を運び友だちや先生と静かに手を合わせる。誰かのために!また今日もしっかり自分が働けるように!

「自分からやることに意味があるんやで。」祈りを終えた子どもたちの誇らしい顔を見送りながら、あの日の言葉が熱く蘇った朝でした。

 

寒さを吹き飛ばす休み時間でした

|

 「先生、楽しいドッジボールしませんか。」3年生の男の子が遊びに行くときに声をかけてくれました。本当にごくごく自然な言い方だったので、「ようし。久しぶりに行くか。」と急いで体操服に着替えて小運動場に向かいました。この冬一番の冷え込みという天気予報どおり、外に出ると寒風が吹きつけています。けれども小運動場では、たくさんの子どもたちが遊びに歓声をあげていました。早速3年生がやっているコートへ。入ってみてわかったのですが、ボールを四つくらい使った変則のドッジボールでした。投げれば、またすぐに返ってきます。ボール自体は柔らかいので当たってもたいして痛くはないのですが、ともかくどんどんボールが飛び交ってスリル満点。「こりゃあ、おもしろいはずだ...。」コートにいるどの子どももじっとしている時間もありません。おかげで、寒さなんか何のその。すぐにポカポカに体も温まりました。途中からは2年生の女の子や1年生の男の子も参加して、あっという間に休み時間が過ぎてしまいました。

 子どもって、自分たちでルールを決めて新しい遊びを作り出す天才ですね。もちろん事故防止のため安全に配慮するのは学校の責務ですが、遊びながらしなやかな身のこなしを身につけることもとても大切なことだと思います。そういえば子どもの頃通っていた小学校の体育館は古く狭い場所でしたが、よくあんなにもいろいろな学年のいろいろな遊びが混在していたものだと思い出すほどの混雑ぶりでした。それでも激突するような事故は稀だったように記憶しています。

 「休み時間に育つ力は一生のもの」と改めて思います。

楽しい休み時間になりました

|

 この季節となると子どもたちからサンタの話をよく聞きます。先日も1年生の女の子がちょうどクリスマスの日に出かける予定があるとかで、「校長先生、サンタさん、うちに来てくれると思う?」と尋ねてきました。「大丈夫だと思うよ。」「ほんとに?」「たぶん...」頼りないお返事しかできなくてごめんなさい!夢いっぱいのお話はいいものです。

 今日はある1年生の男の子と、とっても楽しいお話をしました。場所は職員室。「校長先生いますか。お話したいんですけど。」入り口でそう告げた彼は、まっすぐにわたしの机のところに来ました。「校長先生。さかもとりょうまを学校に連れてきていいですか?」「えっ?」あまりに唐突な話にびっくりしました。「さかもとりょうまです。テレビでやっているでしょう。あのさかもとりょうまです。」「どこにいるの?」「ぼくのうちです。」このへんから、お話はどんどんおもしろくなってきました。「あのね、サンタさんにもらったタイムマシンがおうちにあるんだけど...。いまはちょっと忙しくてぼくも行けないんだけれど、それでりょうまさんに来てもらおうと思うんです。」そこでわたしは尋ねました。「さかもとりょうまのこと、くわしく知ってるの?」彼はさっと1冊の本をわたしに差し出して見せてくれました。それは漫画で描かれた坂本龍馬の伝記でした。「先生は、寺田屋に行ったことありますか?鉄砲の弾のあととか、刀で切ったあととかあるんだけど。えっと、テレビではこの前、りょうまが殺されたところやってたんだけど、ビデオに録ってもらっててまだ見ていません。たしか、あそこは...そうそう近江屋です!」もう坂本龍馬のことなら何でも知っているという感じです。「どうしてりょうまさんを連れてきたいの?」そう尋ねると彼は「今の日本を見てほしいのです。」としっかりとした口調で答えてくれました。「ぜひ、来てくださるといいね。」「おりょうさん(龍馬の奥さん)も一緒に来てもらいます。」彼はにっこり笑って職員室を出ていきました。

 「人が飛躍するには、夢が必要です。」これはあるお坊さんから伺った話です。彼のおかげで楽しい休み時間になりました。

今日は、副校長の藤原がこのブログを書かせていただきます。

FUNK TUP』プチ発表会がありました。今年の4月から放課後の時間を使って『アフタースクール』を行っています。外部から専門の先生をお招きして教室を開設しています。火曜日は『図画工作』と『体操』、水曜日は『ヒップホップダンス』と『和装礼法』(これは4・5年生対象です)木曜日は『そろばん』『タップダンス』、そして金曜日は『サッカー』の教室です。どの教室でも楽しくレッスンを受けていますが、その中で『タップダンス』教室の発表を共遊(中間休み)の時間に行ったのです。

『タップダンス』のメンバーは1・2・3年生13名、かわいい子供用のタップシューズを履いて刻むリズムも、夏ごろに比べて随分揃うようになってきました。昨日のレッスンではリハーサルと称して舞台をセッティングし、客席も作って練習しました。舞台というのは多目的室の床にタップ用の板を敷いているのですが、その板の上ではタップシューズが良い音を響かせます。

今日の発表会は保護者の方にもご招待をしており、短い1曲の発表ですがお父様やお母様だけでなくおじいさまやおばあさまもたくさんお集まりくださいました。また、先生方や子どもたちもたくさん集り、多目的室はいっぱいになり、披露する子どもたちは一気に緊張したようです。紹介されて奥の倉庫から登場したダンサーたちは、黒のシルクハットを目深に被りテレながらも、おうちの方の向けるカメラやビデオに向かってニッコリ。(本当は始めのうつむく最初のポーズをとることになっていたのですが・・・)かっこいい曲がかかると一生懸命踊っていました。横で見ていたインストラクターのショータ(井上章太)先生が一番緊張しておられたように思います。

短い時間でしたが、ダンスを披露した子どもたちにとって、お友だちに見てもらえたこともとてもよかったと思います。多目的室を出て行く子どもの中には、タップダンスに興味を持ったのか、ステップの真似をしている子どももありました。

「ぼく きにいりました」

|

 こんなメール全盛の時代だけに、手書きのお手紙やお葉書をいただくと嬉しいとお感じになるのは、わたしだけではないでしょう。わたしのもとにも、毎日、子どもたちからのお葉書が届きます。2年生が展開している「子ども郵便局」の配達員の子どもたちが、休み時間を使って配達してくれるのです。どのお葉書にもひとつひとつに味があり、心がこもっています。なかなかお返事が追いつきませんが、わたしも子どもの顔を思い浮かべながら、心をこめて書いています。そんな素敵なお葉書から...

 

「こうちょうせんせい いつも いろんないいことをしてくれてありがとう。こうちょうせんせいは いつも いいことをしてるからやしい と ぼくは おもいます。あと こうちょうせんせいは 1ばんやさしいせんせいだと おもいます。せんせいは ギターがじょうずだから ぼくは すごいとおもいます。」

 (ありがとう!こんなにほめてもらうと、いいことしかできなくなります。)

 

「赤のこうちょう先生、学校を見まもってくれてありがとうございます。ちょうれいのとき、おはなし、おもしろいですね。こうちょう先生はなんさいですか?この学校、ふるいけど、りっぱな学校ですね。ぼくきにいりました。」

 (きにいってくれた?うれしいです。なんさいかは...ひみつです。)

 

「いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。いつも一日でも先生がわたしの先生になったらいいなと思います。先生、大好き。」

 (もう天にものぼる気持ちです。ドキドキしちゃって夢かとほっぺたをつねりました!)

実りのある待降節にできるか。鍵は大人です。

|

 いよいよ師走に入りました。学校は待降節と呼ぶクリスマスに向けて心を準備する期間にも入り、校長室前にはイエスの誕生の場面を再現する馬小屋とクリスマスツリーも飾られました。本校では毎年この期間、「ぼくたち、わたしたちがサンタになろう!」を合言葉に、全校で「友だちを大切にする」実践に取り組みます。今年は特に「自分のまわりに仲間はずれや、いじわる、いじめを受けている友だちはいないだろうか?」ということを中心に日々考え行動します。最近体験する事例をみても、いじわるやいじめの第一発見者は間違いなく子どもたちです。残念ながら、気づけなかったのは教師だけである場合もあります。何故、教師や親に、まわりで気づいている子どもたちが知らさないのか。ここには、教師と子どもの信頼関係だけでは説明できない、今の子どもたちの人間関係のあり方が反映しているように思えてなりません。

 新聞でも紹介されていましたが、中学生の間で一緒にトイレに行き、中にこもったりする男子が増えているとのこと。こういった現象は女子にこそ多かったと思うのですが、それが男子にも広がってきているということでしょうか。表題には「群れあう中学生」とありました。「KY」なんていう言葉に代表されるように、とにかく突出したことや目立つことは避けて、その集団に馴染んでしまうこと。また外されないように振舞うことに、疲れてしまう中学生が多いというようなことが書かれていました。

 「おかしい」「やってはいけない」と思っても、それを主張することで自分に被害が及ぶのでは...と感じて見て見ぬふりをしてしまう。こんなことが、まかり通っては絶対にいじめやいじわるをなくすことはできません。大切なことは、子どもたちに関わる教師や親といった身近な大人が、そんな今の子どもたちの気持ちに十分配慮しながらも、「おかしいことはおかしい、と主張することがどれほど大事なことか。」「本当の友だちとは何か。」をしっかりと伝えること。いじめが子どもだけの力では解決できない以上、この実践の鍵は、実は大人にあると感じています。