December 2011 Archives

2学期終業式

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  今日は終業式。子ども達にとってもきっと忙しい日々だった2学期。無事終えたことを神様にみんなでともに感謝したいということを伝えました

 

  保護者の皆様には、今学期も学校のために色々な形で、ご支援ご協力を頂いたことを、心より厚くお礼申し上げます。

 

 2学期を思い返し、私の印象に残った行事などについて話をしました。2年生は、アクトパルの合宿で友達との仲が深まったこと、4・5年生は、アイマスク、車椅子体験で、障害を持つ人々の不自由さを知る機会となったことなどを挙げてみました。大きな行事として、運動会、クリスマスセアンスを自分たちの行事として立派に成し遂げたこと、また、見に来ていただいた保護者の皆様にも感動を与えたことの素晴らしさを伝えておきました。

 個人の力が集まり学級の力となる。学級の力が集まって学校の力となる。これからも聖母の学校の力を高めていこう、と子どもたちに話しました。

 また、学校の中だけではなく、学校の外でも様々なコンク-ルや競技会に自ら参加し、立派な成績を残すことができた素晴らしさを紹介しました。算数オリンピック、和装礼法、その他、図画、作文コンク-ルでも個人でいい成績を残しているので、これからも自分からチャレンジしてみようという気持ちをもっと多くの子どもたちにも持ってもらいたいと思います。

 5・6年生は、運動会、クリスマスセアンス、1年生を迎える行事等で、準備や当日のお世話をしてくれたことに、私からお礼を述べました。

 最後に、東日本大震災の傷跡はまだ深く残っていて、今なお不自由な生活を余儀なくされている人々への祈りをお願いして話を終えることにしました。

 

           今年のブログは今日で最後です。

 

2012年が皆様にとり 

 

神さまからの恵みに満ちた

 

良い年でありますように 心から

 

           お祈り申し上げます

 

 

   楽しいクリスマスと 安らぎに満ちた 新年を お迎えください

 

「クリスマスセアンス」の中で・・・

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 今日は私にとっても初めての「クリスマスセアンス」。短い練習期間であったことを全く感じさせない、素晴らしい会になりました。5年生の聖劇隊、2年生の天使たち、そして、合唱団、また6年生全員による合唱での参加。3・4年生は、かわいい星をホ-ルの壁面に飾ってくれました。会場の準備と後片付けは6年生です。みんなの気持ちが一つに揃い、イエス・キリストの降誕をお祝いしました。会場には早くから一年生の保護者の方々がつめかけてくださり、始まりを、今か今かと待っている感じでした。写真を撮れないことが残念だったとは思いますが、手を止めて、劇から、主の降誕の神秘を味わっていただく機会になっていれば・・・と思います。

 セリフもそれぞれの子どもたちが、ゆったりと、しかも伸び伸びと言えていたように思います。" 目にすることができなかった、声を聴くことができなかった神さま "が、目を見つめて話し、人々の悲しみに涙され、そして何よりも限りない慈しみを出会った人々に注ぐことになる" はじまり "の時に、ともに思いを馳せました。そして、短い生涯を人類の歴史の中に刻まれたという途方もない神秘にも心を向ける日となりました。。

 私自身、クリスマスにまつわる話をしなければならなかったので、どのようなことを伝えようかと、昨晩も悪戦苦闘しましたが、その中で、クリスマスに関係した文章を読んでいく過程で、主の降誕の持つ意味と恵みを、例年にない感覚でしみじみと受け止めていた感じがします。本当にあったことであり、復活されたキリストが今日も私達とともにいてくださるということを、もっと深く信じることはできないものかと、独り考えていました。結果、"クリスマス"というサプライズは、人間にとっては"信じられない"―信じることができないという意味ではなくー、それぐらい大きな神秘であるということにも心が及びました。

 

 

     わたしたちのだれが、

 クリスマスを正しく 祝い得るか。 

 すべての暴力と名誉欲、

 すべての見栄と虚栄心、

 すべての高ぶり、

 すべての独断を、

 すべて飼い葉桶の前に置くことのできる人、

 自分を小さな者とし、

 神のみを大いなる者と仰ぐことのできる人。

 

       ― ディ-トリッヒ・ボンヘッファ― ―

 

  皆様もご家族で素晴らしいクリスマスをお迎えください。

今日は副校長の藤原が書かせていただきます。

明日は『クリスマスセアンス』という行事を行います。今日は午後からそのリハーサルを行いました。5年生の有志で編成した聖劇隊が中心となってキリスト降誕にまつわる聖書の場面を舞台で現します。それを聖書朗読やお祈りで進めていくのも聖劇隊の5年生。美しい歌声で盛り上げているのは、やはり合唱団!でも、それだけではありません。ベルナデッタホールの後方からもすばらしい歌声が響いてきます。それは、6年生全員による聖歌隊です。内容を少しご紹介いたします。

合唱団の『Ave Verum Cotpus』で始まった聖劇、「ユダヤの国にナザレという村がありました。そこには、マリアという神さまの言うことをよく聞く、心のきれいな娘が住んでいました。」というナレーションと共に大天使ガブリエルが登場します。ヨゼフとマリアがベツレヘムへのつらい旅を続け、産気づいたマリアの体を休める宿屋がなく、家畜小屋に泊めてもらうのです。そしてその夜、キリストがお生まれになります。

そうやって聖劇が進む中、「天のいと高きところには神に栄光」と大天使ガブリエルが歌い、その後に続いて「地には善意の人に平和あれ」とかわいい天使の大群(?)が歌います。かわいい天使たちは実は2年生です。

明日は聖母のクリスマス、『一人ひとりの中にキリストがいる』=ぼく達わたし達がサンタになろう!=という目標で実践してきた待降節のまとめです。子どもたちが実践で頑張ったことを示すツリーも奉献されます。みんなの祈りがとどきますように。

ところで、クリスマスツリーや馬小屋などクリスマスの飾りはいつまで飾ってお祝いするのかご存知でしょうか。日本のクリスマスは25日を過ぎるとすぐにお正月のお飾りに変わってしまいます。カトリックでは、1月6日が『主の公現祭』でその直後の日曜日までをイエス様の降誕祭としてお祝いするのです。ですから、学校の馬小屋も2012年1月8日まで飾ります。

プチパのクリスマス会

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  今日は「プチパ」に通う子どもたちの一足早いクリスマス会。たくさんの子どもたちが多目的室に集まりました。こんなにたくさんいたのか?と私は驚いてしまいました。お仕事を持っておられるお母さん方、介護やプライベ-トな用事が急に入り、子どものお世話ができなくなった方、色々なニ-ズがあると思います。今後もたくさんの方にご利用して頂きたいと思います。

 「校長先生も行って見てください」と言われましたが、言われるまでもなく、早速カメラ片手に、アポなしの乱入となりました。しかし、何とも悲しいことに、目の前のケ-キに心を奪われたのか、私が入っても、「あっ、校長先生や!」という子は一人もなし・・・。子どもたちの間を廻りましたが、結局はケ-キに軍配があがりました。先生サンタも飛び出し、会場は大盛り上がり。やはり変装には勝てません。サンタのひげを引っ張り、一瞬で正体はばれてしまいました。子どもの側に立ったら、どれぐらい面白いのだろうと、それなりに想像してみましたが、すぐ限界点に達しました。担当の先生方の行き届いた準備もあり、楽しく美味しい?時間となりました。いつも遅くまで本当によく面倒を見ていただいているので大変感謝しています。

 

 あるアメリカ人神父さんが書かれた文章をご紹介し、クリスマスを迎える準備を皆様とともにしたいと思います。

 

『 待降節の間、救い主の降誕を待つ私たちは、祈りのうちに、日々の行いを通して、特別の準備をしていると思います。忙しすぎる日常から、ほんの少しだけ離れて、心の静けさを確保するだけでも、忘れかけていた微笑みを取り戻します。・・・・今こそ、私たちは、神様の深い愛にふれる絶好の機会を与えられているのです。』

 

 

 

 

祈りの中で

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  2学期も後残すところ1週間となってしまいました。今朝は、「祈りの集い」が7時からあり、聖堂は、1年生から6年生までたくさんの子どもたちでいっぱいになりました。「アヴェ・マリアの祈り」を10回唱えます。みんなで声をそろえて祈り一日の生活をスタ-トさせることは、お互いとてもすがすがしい気持ちになれるいい習慣だと言えます。" 祈りは魂の呼吸である "と古くから言われます。この間先生方の研修会で、矢野神父様は、「 人は祈る時、遺伝子のスイッチがONになる 」と言っておられました。「人は祈って人となる」ともおっしゃっていたように思います。私たちは、目に見えぬ存在に心を向け、集中し、祈る時、心の中にふく風を感じ取れるのかもしれません。

今日から個人懇談が始まりました。子どもたちの2学期の様子を担任の先生と振り返り、その成長の跡を確かめ、また課題も明らかにして頂きたいと思います。

 

明後日の日曜日は、待降節第4週。いよいよクリスマスを迎える週に入ります。カトリックの世界では、通常の私達の生活で用いる"暦"とは違う、カトリックならではの「暦」というものがあります。教会は、年間を通じてその暦に従いながら、主にキリストの生涯を思い起こし、記念し、またミサを通して、神の恵みにあずかる営みを繰り返しています。

 『 キリストが復活したのが日曜日だったので、初代教会では、信者たちは日曜日を「主の日」とし、キリストが「最後の晩餐」で定めた、彼の死と復活を記念する式に集まっていました。これがカトリック教会のミサの起源です 』

                     (カトリック中央協議会)

 

    クリスマスの語源は、ラテン語「クリストゥス・ミサ」の略で、Christ(キリスト) mas(ミサ)を意味しています。Xmas (ギリシャ語)で「Xristos」の頭文字 + mas(ミサ)。Xristos(クリストス)は「油を注がれた者」で「救世主」「キリスト」を意味しています。

 

クリスマスイブニング??

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  寒い日が続きますが、朝子どもたちは毎日元気に登校してきます。グロ-ブのような白い手袋を友達と一つずつ仲よく分け合ってパンパン手拍子を打ちながらやってくる子。5人でがっちり手をつなぎ、私に、耳が張り裂けんばかりに「おはようございます!!」の挨拶の後、グロットのマリアさまにも「マリアさまおはようございます。今日もよろしくお願いします・・・」と声をそろえて言う子たち。寒そうな格好をする子がいないのは、見ていて気持ちがいいものです。

プロのカメラマンの人たちは、"最近の紅葉の赤は、かつての赤の色合いではなくなってきている"と語っているそうです。気象の変化で、温かくなると同時に色合いまで変えたとなると、さびしい感じがします。本当の寒さはこれからですが、インフルエンザの気になるニュ-スも耳に届きはじめるこの頃、残りの2学期を元気に乗り切ってもらいたいものです。

今日も運動場に出てみました。柔らかいボ-ルでバレ-に打ち興じました。"全日本がんばれ!"とあまり意味のない掛け声をかけてあげると、それでも、ニコニコしながら、同じように"全日本!? "とかえしてくれました。

児童会がはたらきかけておこなった「くつばこクリ-ンキャンペ-ン」も今日で終了。今日は2年生が優秀でした、というアナウンスがありました。「あこがれの聖母」となるように、みんなで意識してほしいものです。

 

           『ク リ ス マ ス 豆 知 識 』

 

    《 ク リ ス マ ス イ ブ も ク リ ス マ ス  ? 》 

 

ヨ-ロッパではこの日はたいがい休日、もしくは早めに仕事を切り上げ帰宅し、家族と一緒に夜のミサやキャンドルサ-ビスに出かけます。

  西洋では昔、日没から一日がはじまることになっていたため、24日の夕方にはもう「クリスマス」に入っているものと考えられました。「クリスマスイブ」のイブは「前日」という意味ではなく、「夕方(イブニング)」のイブです。近年、日本では12月23日を「クリスマスイブイブ」と呼ぶことがありますが、当然ながら海外で「イブイブ」などど言おうものなら、確実に「WHAT?」という顔をされることまちがいなしです。

 

 

マドンナをご存知・・・?

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今日は一日中出張と来客に追われる日となりました。クリスマスの厳粛な言葉をお送りする日が多くなっているので、今日は、くだけたお話をプレゼントしたいと思います。

 

     「マドンナ」とはみなさんもご存じのように聖母マリアのこ

 とで、英語で言えば My Ladyとなります。フランス

語のNotre-Dame・・・「ノ-トルダム寺院」は、

「聖母マリア教会」なのです。

  アメリカの歌手マドンナは、その挑発的な言動でキリスト

教の信仰とはかけ離れているように思われますが、ここに、

ちょっとおもしろい話があります。

 彼女は1996年秋に女の子を生みましたが、カトリッ

クである彼女は、娘に「ルルド・マリア」という名前を付

けました。マリアは父親の母の名を取ったものだそうです

が、「ルルド」とは、カトリックの巡礼地であるフランスの

聖地ルルドからきているのです。また、彼女が出産した病

院の名前は、The Hospitalof The Goo  

d Samaritan でした。The Good Sam 

aritan とは、聖書の中に出て来る、" 善きサマリア 

人 "のたとえ話からとった言葉です。

 困っている人に進んで手を差し伸べる人のことで、欧米

ではよく病院やボランティア団体の名前などに使われます。

マドンナについてのお話でした。

 

        もう一つ・・・・・

 

  「幼子イエス」は、スペイン語で El Nino(

ル・ニーニョ)と言います異常気象を持たらすので

有名な「エルニ-ニョ現象」は、初めてその影響が言われ 

出したのがクリスマスの頃だったため、その名がついたと 

言われています。

 

    「キリスト教英語の常識」-石黒マリ-ロ-ズー

                   からの引用です

 

     やっぱり、クリスマスに

          ふさわしい 言葉を・・・・

 

     『 神が人間を神の子とし、

          人間が神を「父」と呼ぶことが

できるというたまものは、    

       すべてのたまもののうちで、

          もっとも偉大なたまものである。 』

 

     ※ 今日も下線を消せませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

     

ラケットベース

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今日は、教頭の長谷川が書きます。


お弁当の時間が終ると、4年生の男の子が職員室にやってきました。

「だれか、ラケットベースお願いします。」

と、一緒に遊んでくれる先生を探しています。ラケットベースだけは、ラケットやバットを使うので安全上、必ず先生と一緒でないと遊べません。少し、早めに食べ終わったので、担任の先生はまだ、食事の指導があったようです。

「いいよ。」

と、引き受けると

「緑のバットをお願いします。」

の声。

黒・緑・青・黄・紫・赤など色々な種類がありますが、子どもによってお気に入りのバットがあるようです。

グランドにいくと、まだ、時間が早いのでラケットベースを始めたのは、4人でした。2対2で、ゲーム開始。ちゃんと、アウトがとれるのかな?と、心配していましたが、うまく、打球の下に回りこんで、しっかりキャッチをしてアウトをとりました。

短い時間でも、お互い、打ったり守ったりできるように、1アウトで、チェンジする特別ルールです。そして、守備の人数が少ないのをカバーするために、ピッチャーにボールが戻ったら、走塁をやめて元のベースにもどるという工夫もしています。

「よせてー」

「一緒にやってもいい?」

と、次第に人数が増え、4年のほかに3年も一緒になりました。

朝夕は、とても寒くなっきましたが、今日のお昼休みの時間はとても暖かな日差しで、子ども達も存分に遊べたようです。

洗礼者ヨハネのもとに・・・

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  今朝朝礼で、「和装礼法」のコンテストで入賞した子と、読書感想文コンク-ルで入賞した児童の表彰を行いました。「和装礼法」は、アフタースク-ルで活動を続けてきた六年生の女子二人に賞が贈られました。「装いコンテスト関西大会」に出場して2位と4位という好成績での入賞です。2位の児童は、4月に東京NHKホ-ルで開催される全国大会に出場します。読書感想文では、5年生の男子が聖路加病院長日野原重明先生の著書「十歳のきみに」という本の感想文を書き優秀な成績で入賞しました。

 先週図らずも強打した腰に痛みを抱えたままでしたが、「ラケットベ-ス」をしようと呼びかけてくれていた子どもたちが再び私の元に。早速運動場へバットを持って出かけました。先週学習した経験を活かし、こけないテクニックを使いゲ-ムを楽しみました。寒さのせいか、大運動場はいたって出ている子が少なく、さびしい景色となっていました。

 昨日の日曜日に、河原町カトリック教会での"黙想会"に出かけ、ミサにあずかりました。私が個人的に、最近是非一度お話を聞いてみたいと思っていたイエズス会の英隆一郎神父に出会えるからでした。インタ-ネットで説教の画像を見たことと、この神父様の本を読んだことがきっかけで、一度チャンスがあれば・・・と思っていたからです。話は、洗礼者ヨハネについてでした。神殿の中で捧げられていた律法学者たちの祈りに真っ向から対立し、「荒野」で「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、イナゴと野蜜を食べ物」として、人々に「悔い改め」を迫り、罪のゆるしに至る洗礼を授けた人物です。神殿とは全く対極にある荒野で、神と自分との関係を、孤独と窮乏のうちに際立たせ、イエスにも洗礼を授けた強靭な人物像を紹介してくださいました。私達が日常すっかり忘れている、魂の荒野に分け入り、心底からの"回心"を実現し、それを果たした時のすがすがしさを体験するようにという領域に誘ってくださいました。

 

待降節も第3週に入りました。幼きイエスの誕生を迎える日が近付いてきました。 

 

帰りに書店で買った「ヘンリ-・ナウエン」(今、カトリック、プロテスタントを問わず、全世界で人気を博しているカトリック司祭―60歳で死去)の本の中から、クリスマスにふさわしい言葉を見つけました。

 

『 イエスが私達と同じ姿になってくださったのは、私たちもイエスの 

 ようになることができると示すためでした。イエスは神と等しいこと 

 に固執なさらず、かえってご自身を空しくして、私たちと同じ姿にな 

 ってくださいました。それは、私たちがイエスに似た者となって、そ

 の聖なる生き方をイエスと共有するためです。』

コウチョウ コケル!! 

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 今日は、共遊の時間「タップ・ダンス」のお披露目がありました。私も2時間目終了のチャイムが鳴ると同時に、カメラを手に多目的室へ。しかし、部屋に入ると、もう保護者の皆さんが席についておられました。みんなカメラとビデオ(カメラ)を持っての参加です。シルクハットが小粋にきまり、タップも軽やかにはずんでいました。少しそろっていないところもご愛嬌・・・そこは、持ち前の可愛さでカバ-します。しかし、普段の練習の成果を十分に発揮したステップとなりました。以前からタップとつながっていた子もいるかもしれませんが、みんな初めて取り組んだクラブ。何より自分たちが楽しみながら参加している気持ちが伝わってきたことと、短いようでも、たくさんのタップのバリエ-ションを重ねて見せてくれたダンスに、会場の拍手も自ずから高まりました。指導してくださっている先生も熱く踊りました。観に来た子どもたちも、前列でひしめき合っている状態でした。

入試説明会などの場でも披露してもらえたらな、と一人心が弾んでいました。

 

 今日こそ、誰よりも早く運動場に出て、「ラケット・ベ-スをしよう!」と言っていた子を探そうと出てみましたが、結局普通の野球をすることに・・・6人でしたのはいいのですが、わたしの前に頃合いに高く上がってきたフライをとろうとしたその時、上半身に下半身の動きが全くついていかず、思いっきり後ろ向きに転倒。眼鏡も飛んでしまう有様。どれだけ運動不足でいるか、という生生しい現実を、何あろう体に教えてもらいました。しかし、寒さの中、体を動かすすがすがしさを久し振りに感じました。

 

「せいぼゆうびんんきょく」も今日で終了。子どもたちとのじかのやり取りはやはり楽しいものでした。最後のおたよりコ-ナ-とします。

 

     校長先生へ おいそがしいとこ しつれいします。

 わたしは、いつも朝早く学校にきて えがおであ

いさつする校長先生が大すきです。

 

     校長先生は何の絵が得意ですか?

 わたしは ドラエモンです!

 

     さいきんは校長しつへ行ってないけど よろしく

 おねがいします。ずっと(一年生~六年生まで)

 学校にいたいです。

 

     こうちょうせんせいへ いつも、もんのまえであい

さつをしてくれてありがとう 大すきだよ。

 

     お仕事がんばってください

  

     校長先生へ 木立ちに もっといっぱい遊具を作って

    下さい。 お願いします!! 楽しみにしてます。

 

     校長先生へ 先生はおもしろくて、やさしくて、

 きびしい時もあって、わたしは、うれしいです。

 また、こんど、校長室に行きます。

 そしたら、いっしょにあそんでください

 先生とあそんだら、心がうきうきします。

 楽しみですね ~

 

     いつもみんなをみまもってくれてありがとうございます

 もうすぐイエスさまがおうまれになられた日になります  

 ね。ぼくはこの学校が大すきですよ。

 またこれからもよろしくおねがいします。

 

       心が洗われた一週間でした。子どもたちの心の美しさを

       皆さまとともに味わうことができますように・・・・

 

 

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

校長先生は くじびきで?

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「せいぼゆうびんきょく」の閉店を明日にひかえ、たくさん葉書をもらいました。今日もいくつかを紹介したいと思います。何とも可愛いものばかりです。

 

     いつもあそんでくださってありがとうございます。

 これからもいっぱいあそんでください

 

     校ちょうせん生だいすき、校ちょうせん生は、おもしろ

     い!! 校ちょうしついくよ!!

 

    感謝状   いつも がっこうをまとめてくれて ありがとう

 

     いつもありがとうございます。朝「おはようございます」と

   校長先生に声をかけると とっても気持がいいです。これか

     らも よろしくお願いします

 

     校長先生お元気ですか? ぼくは元気です。なぜ先生は

 校長先生になれたのですか? おしえてください。

 くじ引きですか? 選挙ですか?

 

     こんにちは!! 先生は元気いいですね

 かぜをひかないように 気をつけて下さい

 

     校長先生へ

 気温も急に低くなってきました。お元気ですか。

 毎朝 気持ちよいあいさつを ありがとうございます

    

 (子どもたちが書いていたものを そのまま載せています)

 

 

 今日もクリスマスにちなんだ深~~い 言葉を載せることにしました。

 

     今日、わたしたちの 救い主が、お生まれになった

     のだ。大いなる喜びのうちにこの日を祝おう!

今日は、悲しみに沈んでいてはならない。

今日は いのちの誕生日なのだ。

 

     飼い葉桶のイエスは、

 今日、世界が必要としているものを

 放射している。 

 柔和、優しさ、光、そして希望。

 柔和は、あらゆる暴力への答えとして、

 優しさは、思いやりの欠如への答えとして、

 また、善意と隣人愛の欠如への答えとして。

 光は、孤独のままに捨て置かれる人

 また、人生の意味を見いだせない人への答えとして

 

日本と聖母マリア

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 今日は一日中出張していました。朝、4年生の子どもから「先生ラケットベ-スしような!」とまた誘われてしまい、「よっしゃ!やろうな!」と返事はしたものの、その日のうちに約束を果たせなかったことにもどかしい気がした日でもありました。

午後から六中校区の集いがあり、他の小学校、中高の先生方と話し合いの場が持たれました。地域の人々みんなの関心と労力を集めて子どもたちを見守っていくという取り組みは、今のご時世に特に大切なことではないかと思います。和やかな雰囲気の中で会は進んで行きました。

 

 今日は、イエス・キリストの母、『聖母マリア』にちなんだ解説を皆様にお届けします。これは、日本カトリック中央協議会のホ-ムペ-ジにあるものです。

 

  【日本と聖母マリア】

日本に初めてキリスト教を伝えたのは、イエズス会の宣教師「フランシスコ・ザビエル」です。1549815に鹿児島の海岸に上陸しました。日本に着いた日が、ちょうど聖母マリアの被昇天の祭日に当たっていたこともあって、ザビエルは、日本を聖母マリアに捧げました。他人が、ひとの国を誰かに勝手に捧げるとはけしからんと怒る向きもあるかもしれませんが、当人は、そんなつもりは、まったくありませんでした。マリア様の保護のもとに置けば、日本の国民は幸せになれると思ったからです。ザビエルが、日本を聖母マリアに捧げたせいかどうか分かりませんが、日本の歴史的な出来事と、聖母マリアの祝日が重なっている事実は不思議です。日本が真珠湾攻撃と機をいつにして米英に宣戦布告し、太平洋戦争が始まったのは、1941128日。カトリック教会では、128は、聖母マリアが、その母聖アンナの胎内に宿ったことを記念する「無原罪の聖マリアの祝日」で、盛大に祝われます。カトリック国では学校や会社・商店は休みとなります。太平洋戦争が終わったのは、1945815。この日は、前述のとおり、「聖母マリアの被昇天の祭日」で、これまたカトリック国では、国民の祭日として仕事は休み。そしてサンフランシスコ講和条約が、サンフランシスコで調印されたのは、195198。この日は、「聖母マリア」の誕生日に当たります。さらに日本で建国記念を祝う211は、「ルルドの聖母の祝日」となっています。これはたんなる偶然かもしれません。しかし、こんなにもたまたまが重なるのでしょうか。ちなみに、ヴァチカン市国の建国記念日でもある。1929211日に、イタリアのムッソリーニと、ローマ教皇庁代表のガスパリ枢機卿の間で締結されたラテラノ条約によって、ヴァチカンは、国家主権が認められました。その調印式に使われたテーブルは、桜材でできた日本製だったといいます。

 

幼きイエスの誕生の神秘が、聖母マリアにより実現したことへの感謝をともに捧げていきたいと思います。

  今日は今学期最後の「和装礼法」・・・着物の着付けを練習しました。男子も女子もそれは手際のいいこと。男の子も早く着付けのできる子は何と3分!他の子も7分もあればみんなできたとのこと。指導してくださる先生方も、至極ご満悦で、「早いですね!」と言っていただきました。女子も、後ろで結んだ帯がきりりと締まり、早く結んだ後は、ひとしきりみんなでお互いに友達の姿を見合って、テンションはあがりっぱなしでした。自分の姿を友達の中に見ての嬉しさだったのかもしれません。着物姿の子どもたちは、また少し感じが違って見え、あどけなさが輝いて見える感じがしました。身に付ける装いが替われば気分も変わるもの、正座する姿はとてもさまになっていました。"グロ-バル化"も大いに是とされる時代ではありますが、自分が日本人であるということをはっきりと自身で感じ取れる機会も持つことはとても意味があることだと思いました。今日も朝から来客が重なり、忙しい日となりました。葉書も少しずつ郵便受けに入っていて、校長室に戻って来るのが楽しい週間でした。ビ-トルズのジョン・レノンが、ハスキ-な声で切なく歌っていた、Please Mr.Postman」恋人からの手紙を待ち続ける男心を歌った曲という楽曲が頭に浮かんできて、しばしの間、何故か妙に懐かしく思い出していました。

 

  今日も クリスマスにちなんだ 言葉を ここに挙げることにしました

     

     毎日がクリスマス

イエスは今日も

あなたの中に

生まれる

 

      イエスは白人のためにだけ来たのではない

 黒人のためにだけ来たのでもない

 ヨ-ロッパ人のためにだけ来たのでもない

 何かほかの民族のためにだけ来たのでもない

 彼は全人類のために人間になったのだ

 私たち一人ひとりのために

 それはクリスマスがすべての人のための祝日であり

 すべての人のための喜び

 すべての人のための自由と平和であることを意味している

 

      

クリスマスの味わい・・・

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  昨日の日曜日は待降節第2主日。いよいよ幼きイエスさまの誕生を迎える日が少しずつ近づいてきました。今朝も全校朝礼で、子どもたちに、誕生日を迎えて、世界中の人々がお祝いしてくれる人は、イエス様以外には考えられないという話をしました。また、ロケットのアポロが月に初めて辿り着き、船長が月面に降り立って、初めに「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」と語りました。しかし、神様が幼子の姿で、人類の中に誕生したことはもっと大きなことでしょう・・・と話しました。また以外にもその誕生は極めて静けさに包まれたものでした。だから私達も静かに祈りと天の御父への感謝のうちにクリスマスを迎えましょう・・・と伝えました。"静まり"と"安らぎ"と"喜び"が、2000年の時を超えて真に実現するのは、正に"沈黙"の中においてではないかと、深く思います。

 クリスマスのメッセ-ジを、手元にある本の中から引用したいと思います。皆様と言葉をともに分かち合い、心に留め合い、本当のクリスマスの意味を味わう機会にしたいと思います。

 

 

     神の子は人となった。

 人間が、

 神を受け入れることを学ぶために。

 神は、人間の間に生きはじめられた。

 

 

     黄金も、友人も、権力も、名誉も、

 キリストが人となったという福音ほどには

 わたしを喜ばせることはない。

 人間の心は、それを考え出すことはできず、

 それについて十分に語ることもできない。

 神は人間を心から愛されたにちがいない。

 神は、それほど私の近くに来られ、

 わたしと同じ人間になられたのだ。

 神は、わたしと同じ者になったのだ。

 

 

「せいぼゆうびんきょく」から " 愛 " が・・・

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  校内に赤いポストが置かれ、「せいぼゆうびんきょく」週間がはじまりました。校長室の入り口の掲示板にも知らぬ間に、可愛い郵便受けがセットされました。2通ぐらいは届くのかな?とかすかな期待をしていましたが、その2にちなんだのか、22通の可愛い葉書が手元に届きました。このような子どもから届く物を見ることは何よりも心和ませてもらえるものとなります。何の変哲もない言葉が並んだメッセ-ジですが、子どもたちのPUREな気持ちが伝わってくるものなので、ここに挙げてみることにしました。皆様も、私と一緒に葉書をもらった喜びをともに味わっていただけたらと思います。

 

〇 ときどき校ちょうしつにいったらギタ-をひいてくれてありがとう。 

    またいつか校ちょうしつにいくとおもうので、またギターをきかせて

    ください。

 

〇 いつも朝に「おはようございます。」と声をかけてくださってありがとうございます。これからもがんばってください。

 

〇 いつもおもしろいこととかしてくれてありがとう。またあったらおもしろいことしてね。

 

〇 大すきだよ

 

〇 校長先生へ またあそびにいきます。ギターひかせてください。

 

〇 校長先生、いつもやさしくしてくれてありがとうございます。ぼくは、校長先生のおかげで、すくすくそだっています。ありがとうございました。

 

〇 いつもしごとをしてくれてありがとうございます。またあそんでくだ 

  さい。

 

〇 いつもおげんきですか。またこうちょうせんせいのギタ-がききたい 

  です。

 

〇 こう長先生  大すき

 

〇        (言葉なし・・・愛想をつかしたのでしょうか?)

 

〇 ☆ ☆ ☆  (星・・・三つ!!!-合格の印でないことだけは確かです)

 

〇 こうちょうせんせい、いつもみんながまだがっこうにきてないじかんにいつもぼくのところでまってくれてありがとうございます。

 

 何よりもの励みになる葉書、私も子どもたちに 心から感謝です!

「 三年とうげ 」公開授業でした

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  今日は2時間目に3年生の西村先生の学級で研究授業がありました。単元は「三年とうげ」。この教材は、朝鮮の民話であり、起承転結が明快でユ-モラスな物語です。三年とうげと呼ばれる峠があり、そこは美しい眺めの峠でありながら、「一度転ぶと三年しか生きられない」という恐ろしい言い伝えがあります。峠で転んでしまった主人公のおじいさんは、言い伝えの通り病気になってしまいます。しかし、トルトリという若者が、「一度転べば三年しか生きられないのだから、何度も転べば長生きできるよ」と助言します。トルトリの言葉を信じたおじいさんは峠へ行き、何度も転ぶことですっかり元気になるというコミカルな内容です。子どもたちは、西村先生の軽妙なテンポに合わせ、歯切れよく授業を展開していました。明るくカラッとした先生のパ-ソナリティーと相まって、発問が子どもたちの心に小気味よく響いていましたし、音読も一斉読、一人読みどちらも登場人物の気持ちになりきり読めているように感じました。トルトリの言葉に刺激されて変わっていくおじいさんの気持ちを子どもたちなりに十分推し測れることができた素晴らしい授業となっていました。「同じ人なのに性格が別人」「マイナスがプラスになっている」と参観に来た先生たちをうならせるような発表もしきり・・・反省会でも、日頃の担任の先生と子どもたちの温かい人間関係が授業に反映された感じがした、という意見も出ていました。教材をより深く分析して授業に臨もうとする先生方の突っ込んだ分析と意見の交換もなされ、実のある研修になったように感じました。先生方の授業と教材に寄せるひたむきな態度に私自身感銘を受けました。このようにあくまでも私達教師は、授業研究を通して、より質の高い授業をすることによって、子どもたちの感性と心を磨いていくことが大切だと再認識しました。

 廊下を走らないようにしようと、先生方も注意をしてきたせいか、最近少し走る子どもたちが減ってきている感じがします。寒くなって来ていますが、休み時間ともなれば、子どもたちは運動場へ・・・「先生ラケットベ-スしよう!」と誘われてしまいましたが、今日は出来ず。近いうちに何とかやってみようと思っています。4日は早、「待降節第2主日」新しいロウソクに火をともします。