「クリスマスセアンス」の中で・・・

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 今日は私にとっても初めての「クリスマスセアンス」。短い練習期間であったことを全く感じさせない、素晴らしい会になりました。5年生の聖劇隊、2年生の天使たち、そして、合唱団、また6年生全員による合唱での参加。3・4年生は、かわいい星をホ-ルの壁面に飾ってくれました。会場の準備と後片付けは6年生です。みんなの気持ちが一つに揃い、イエス・キリストの降誕をお祝いしました。会場には早くから一年生の保護者の方々がつめかけてくださり、始まりを、今か今かと待っている感じでした。写真を撮れないことが残念だったとは思いますが、手を止めて、劇から、主の降誕の神秘を味わっていただく機会になっていれば・・・と思います。

 セリフもそれぞれの子どもたちが、ゆったりと、しかも伸び伸びと言えていたように思います。" 目にすることができなかった、声を聴くことができなかった神さま "が、目を見つめて話し、人々の悲しみに涙され、そして何よりも限りない慈しみを出会った人々に注ぐことになる" はじまり "の時に、ともに思いを馳せました。そして、短い生涯を人類の歴史の中に刻まれたという途方もない神秘にも心を向ける日となりました。。

 私自身、クリスマスにまつわる話をしなければならなかったので、どのようなことを伝えようかと、昨晩も悪戦苦闘しましたが、その中で、クリスマスに関係した文章を読んでいく過程で、主の降誕の持つ意味と恵みを、例年にない感覚でしみじみと受け止めていた感じがします。本当にあったことであり、復活されたキリストが今日も私達とともにいてくださるということを、もっと深く信じることはできないものかと、独り考えていました。結果、"クリスマス"というサプライズは、人間にとっては"信じられない"―信じることができないという意味ではなくー、それぐらい大きな神秘であるということにも心が及びました。

 

 

     わたしたちのだれが、

 クリスマスを正しく 祝い得るか。 

 すべての暴力と名誉欲、

 すべての見栄と虚栄心、

 すべての高ぶり、

 すべての独断を、

 すべて飼い葉桶の前に置くことのできる人、

 自分を小さな者とし、

 神のみを大いなる者と仰ぐことのできる人。

 

       ― ディ-トリッヒ・ボンヘッファ― ―

 

  皆様もご家族で素晴らしいクリスマスをお迎えください。