校長ブログ
2026.10.11
【校長ブログ】2026年10月全校集会 DoingよりもBeing
皆さん、こんにちは。
校長の大矢正則です。香里ヌヴェール学院中高のホームページの中に、『校長ブログ』のページを作成しました。
今年の4月にここの学校に来て、ちょうど6か月。私は、もともと勤勉とは程遠い性格なので、ブログをどのくらいのペースで更新できるかは、わかりませんが、一応、月に2回を目標にアップしようと思います。
初回の今日は、先日の全校集会にて、本校の生徒たちに向けて行った講話を、アップします。
《校長講話》
皆さんに、最初に一つ質問します。人間の価値は、何によって決まるのでしょうか。
勉強ができること。スポーツができること。健康であること。人から好かれていること。つまり、何かの役に立つことでしょうか。
もちろん、いま申し上げた一つ一つのことは、皆さんが学習することによって獲得するものでもありますから、けっして悪いことではなく、褒められてもいいことです。
しかし、それらは、人間の価値そのものに影響を与えるのでしょうか。もし、そうだとしたら、勉強が苦手な人は価値が低い。病気になったら人間としての価値は下がる。障害は人間の価値を下げる。高齢になって、自分一人では何もできなくなったら、人間としての価値も小さくなっていく。そういうことになっていきます。
この考えには違和感を覚える人が、多いのではないでしょうか。
香里ヌヴェール学院の教育が依って立つところのカトリック教会もまた、この考え方、つまり、人の価値はその人のできることによって決まるという考え方には、立場を取っています。
先月、ローマ教皇レオ14世がフランスを訪問した際、フランスで大きな議論になっている安楽死に代表される「死ぬ権利」を認める制度について、反対する立場を改めて示しました。ロイターの記事によれば、教皇様は医師・看護師などの医療従事者にこう語っています。「苦しむ人に寄り添うことが仕事であって、その人を排除することではない」。私は、この言葉はとても大切だと思います。
病気が治らない。苦しみが大きい。自分では何もできない。人の助けがなければ生きられない。そういう人を前に、「生きている意味がない」と考えるのか。それとも、「いのちには、今も変わらない価値がある」と考えるのか。
カトリックの教えというのは、ただ単に「安楽死はいけません」とか「中絶はいけません」とか禁止事項を並べているのではありません。もっと根本にある問いは、「人間の価値を、何によって測るのか」という問いです。
ローマの教皇庁が出している生命倫理に関する文書『人格の尊厳』には、とても重要な考え方が述べられています。人間の生命の価値を、相対的な位置づけで正常であるか、身体的に健康であるかという尺度だけで測ってはならない、というものです。人間の尊厳は、能力や健康によって与えられるものではないからです。病気になっても失われない。障害があっても失われない。まだ生まれていなくても失われない。歳をとって何もできなくなっても失われない。人間の尊厳とはそのようなものです。
このことは、出生前診断について考えるときにも同様です。出生前診断そのものを、カトリック教会はすべて否定しているわけではありません。お腹の中の赤ちゃんの状態を知り、治療できるなら治療する。生まれてから必要になる医療を準備する。家族がその子を迎える準備をする。そのための診断なら、それは命を守るための医療です。
しかし、もし診断が、この子には障害があるから、生まれないほうがよいという結論を導くものとなってしまうなら、それは医療ではありません。そこで起きているのは、病気の診断だけではありません。「どんな人間なら生まれてきてよいのか」を、人間が選別することになってしまうからです。
ところで、皆さん、私はここで考えてほしいことがあります。この問題は、病院の中だけにあるでしょうか。学校では関係のない話でしょうか。
実は、私たちの学校生活の中にも、同じ誘惑があります。人を成績という基準で見てしまっていないか、人間関係づくり、コミュニケーションの能力など、いろいろな意味で不器用な人を疎外していないか。人を成績という基準で見るという誘惑は、むしろ教師の方にあるかもしれません。しかし、教師は生徒の各教科のパフォーマンスを測っているに過ぎません。
学校生活の中でも大切なこと、私たちに問われることは、弱っている人、失敗した人、孤立している人、助けを必要としている人と、私たちはどう関わるのかということです。医療従事者が最も小さな命である出生前の胎児に医療を施すように、あらゆる場所においてそこに集う人は、その中にいる「小さくされた人」を排除せず仲間として共に生きることが求められているのです。
イエスは、強い人、成功した人だけを大切にされたのではありません。病気の人に近づき、社会から遠ざけられていた人に触れ、子どもを招き、弱い立場に置かれた人のところへ行かれました。
ところで、皆さん、この話は、皆さんが他人を見るときだけの話ではありません。自分自身についても同じです。失敗したとき。成績が下がったとき。友達とうまくいかないとき。自分には何の取り柄もないと思ったとき。そんなときにも、あなた自身の価値は何ら下がっていません。
あなたは、何かができるから大切なのではありません。あなたがあなたとして存在していること自体に意味があるのです。あなたはそこにいてよい。あなたあなたのままそこに置いてくださったのは神様だからです。
今日、一つだけ覚えて帰ってください。人間の価値は、できること、つまりDoingで決まるのではありません。存在、つまりBeingそのものが尊い。DoingよりもBeingなのです。
自分をBeingとして、そして他人もBeingとして大切にできる。このことこそが、神の似姿として作ったいただいた私たち人間が与れる最大の恵みでしょう。
2026年10月7日 於:香里ヌヴェール学院ベルナデッタホール
香里ヌヴェール学院中学校・高等学校 校長 大矢正則