学校BLOG
2026.09.10
被造物を大切にする月間
先日行われた全校集会での校長先生のお話です。
香里ヌヴェール学院は、カトリック教会の学校です。世界中のカトリック教会では、毎年9月を、「被造物を大切にする月間」と定めています。被造物というのは、もちろん、人間をはじめとして、この世に存在するものすべてです。そこには、動物や物質のように目に見える被造物もありますが、富であるとか、名誉であるとか、あるいは、貧しさとか不名誉なども含まれます。
伝統的なカトリックの考えでは、「人間は神に向かうように造られている」とされています。なかなか私たち人間にとってはわかりづらいことですし気づきづらいことです。
しかし、まったくそういった神、まあ、神という名前はともかく、人間を超えた何か、自分を超えた何者か、あるいは、自分としては意図しなかった自分自身の行動に、私たち人間は遭遇することがあります。ある人は大自然を見たとき、あるいは、満天の星空を見たときに、神の御業を感じるでしょう。
また、私たち人間は、何か悪いことをしてしまっているときに、感じるものがあります。良心の呵責といわれるものです。さらには、人は、他人が困っているときや、世の中で弱者とされている人たちに出会うと、咄嗟に手を差し伸べたくなり、実際に他人の身代わりになって命さえ差し出すことがあります。これらの心の動きや行動が現れるのは、私たち人間が、個人的な過去の記憶や知性や意志に依らず、一定の方向性を持った心の動きや行動をするようになっているからです。このことは、「人間は神に向かうように造られている」という聖書に基づくカトリックの教えを知る手掛かりとなります。
「人間は神に向かうように造られている」と申し上げましたが、裏返せば、神が人間と一緒にいたいと願っているとも言えるでしょう。
そして、この世のすべての被造物は、神が、その思いを込めて、人がご自身とともにあるようにという思いを込めて造られた賜です。
そのような被造物と人間との関係を明らかにする祈りの一つの方法として、『霊操』という祈り方がカトリック教会にはあります。体操が体を動かすエクササイズであるのと同じように、『霊操』、つまりSpiritual Exercisesは心を動かすエクササイズです。
このロヨラの聖イグナチオという聖人の書いた『霊操』の手引書には「原理と基礎」という重要な項目があり、その中に次のような記述があります。
すべての被造物に対して偏りのない心を持つよう努めなければならない。したがって、私たち自身としては、健康を病気よりも、富を貧しさよりも、名誉を不名誉よりも、長寿を短命よりも望んではならない。このことは、その他すべてのことについても同様である。私たちがただ一つ望み、選ぶべきものは、私たちが創造された目的へと、よりよく導いてくれるものである。
どうですか、皆さん。健康と病気、富と貧しさ、名誉と不名誉、長寿と短命。自分だけの欲や幸せを願う生き方を選ぶのなら、間違いなく、健康、富、名誉、長寿を選ぶでしょう。しかし、欲は欲を呼ぶだけで、満たされることは永遠にないかもしれませんし、ましてや自分一人の幸せというのはあり得ません。
幸せというものは、人を幸せにできたときにはじめて得られるものです。
ロヨラの聖イグナチオが、祈りの「原理と基礎」として述べているように、私たちがただ一つ望み、選ぶべきものは、私たちが創造された目的へと、よりよく導いてくれるものなのではないでしょうか。