学校BLOG
2026.04.22
朝のお祈り ~主の祈り~
本校では、毎朝「朝のお祈り」の時間を大切にしています。
生徒たちはそれぞれの教室で放送に耳を傾け、静かな祈りのひとときを共に過ごします。
まず初めに、「祈りの意向」として、短い講話が行われます。
この講話は年間を通して中学・高校の教員が順番に担当しており、
時間は1分弱と短いものですが、「朝のお祈り」の核となる大切な時間です。
カトリック校である本校では、古くから黙想を大事にしています。
黙想は、神との対話の時間であり、神の声に耳を傾ける豊かな時間でもあります。
黙想の後、姿勢を正して、放送に合わせて「主の祈り」を唱えます。
最後に聖歌を歌い、「朝のお祈り」の時間が終わります。
今週月曜日の20日には、大矢校長が初めて担当しました。
その中で、毎日全校で唱えている「主の祈り」についてお話がありました。
今回は、そのお話の内容を、皆さんにご紹介したいと思います。
《主の祈りについて》
皆さんは、朝の祈りの最後に主の祈りを唱えます。
主の祈りは、前半と後半に分かれていることに気づかれているでしょうか。
最初に、「天におられる私たちの父よ」と呼びかけます。天は場所ではなく、聖なるところという意味。
一人ひとりの心の奥底と言ってもいいでしょう。そして「私の父」ではなく「私たちの父」と言うことで、
神様がすべての人の奥底におられることを表しています。
「み名が聖とされますように」。
神様の名前、名前はそのものを表しますので、ここでは、神様が尊ばれるようにと願っています。
「み国が来ますように」。
み国とは、神様が支配する世界のことです。
支配というと、力とか独裁とかを連想しがちですが、神様の支配とはそういうものではなく、愛と正義に満ちた世界のことです。
そのような世界の訪れを願う祈りです。
「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」。
天。それは人の目では見ることはできません。そこでは神様の望みが完全に実現しています。
それと同じように、私たちの目に見える、この地上世界においても、
神様の望みが実現し、私たち自身もそれに従えるようにと祈ります。
ここまでが、前半です。
すなわち、どの祈りも神様を賛美しています。神様のために祈る部分と言ってもいいでしょう。
後半は、ガラッと変わって、まず、
「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」と祈ります。
ここでの糧は食べ物だけでなく、生きていくために必要なすべての恵みを神さまに願っています。
続いて、「私たちの罪をおゆるしください、私たちも人をゆるします」。
これは自分の弱さの表明です。自分の犯した過ちを認め、ゆるしを願います。
同時に、他の人をゆるす決意を表します。
自分はゆるされた罪人であり、神様との関係においても、他人との関係においても、
ゆるし合うことが大切であるということを、ここでは表明しています。
最後に、「私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」と、再び自分の弱さを表明し、
神様に反する誘惑や苦しみから守ってください、と神さまに助けを求めているのです。
普段、意味を考えることは、あまりないかもしれませんが、主の祈りの一文一文にはこうした意味があり、
しかも、この祈りは、この地上で生活していた頃に、弟子から、どう祈ったらいいのかと聞かれた際に、
イエス様ご自身が教えてくださった祈りなのです。
校長 大矢正則
