校長ブログ

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2021年07月12日

広島での祈り

世界平和記念聖堂

昔から大切に使われているオルガンをお借りして聖歌を歌いました

6年生は、例年、6月に長崎方面へ修学旅行に出かけますが、今年は行き先を広島(平和公園・広島平和記念資料館・カトリック幟町教会)に変更し日帰り修学旅行としました。まん延防止等重点措置の期間中なので感染対策を徹底し、広島の事前学習を行い、あとはお天気の心配でした。

当日、新大阪駅に早朝に集合し、予定通り出発することができました。しかし、お天気は雨で傘を差しながらの移動でしたが、子どもたちは行き先々で臨機応変に行動し頼もしく感じました。

広島平和記念資料館では、1つ1つの展示物に目を奪われ、中々前に進むことができず、想像以上の惨劇に悲しみと恐怖が増したようです。ノートに書き写したり写真を撮ったりしながら「命」「平和」について考えを深めました。

平和公園では、原爆ドーム、原爆の子の像をガイドさんの詳しい説明を聞きながら見学をしました。

最後に、カトリック幟町教会に足を運び、ドミニコ・ヴィタリ神父様に聖書のお話をしていただき、「仲良く暮らすように。何も捉われることなく平和な世界をつくるように。どこにいても全ての人を認める、役に立つことをするように。」というお言葉をいただきました。みんなで、平和な世界になるよう心をこめて祈りました。

子どもの作文

■原爆がうばった「大切なもの」

「トントン、カタカタ、トン」しーんと静まりかえっている中、一人ひとりの足音だけが聞こえます。修学旅行では、広島平和記念資料館で平和について学ぶ時間がありました。ゆっくり一つひとつの展示品を心に刻みながら奥へ、奥へと進んでいきます。

ふと目をやると、目を手で隠して下を向いている子がいました。怖くなって、見るのがつらくなってしまったのです。原爆が落ちてきた時にそばにいた人はどうだったのだろう。目の前のさっきまで笑顔だった人が、全身真っ赤になって川に飛び込むのを見ていられるでしょうか。きっと私が見た展示品の何倍も恐ろしくて、つらかったのだと思いました。そんな悲しいことが、広島だけでなく長崎、世界のいろんな地域にも起こっているだなんて、きっと広島に行かなかったら気づけませんでした。

私はこの経験を通して、原爆が奪ったものを知ることができました。それは「人の命」「人々の生活」「平和」です。私は、「もう原爆でこんな悲しいことが二度と起こらないでほしい」と、今までで一番強く思い感じました。原爆が奪っていった大切なものは取り返せないけれど、この思いを未来に伝えることはできます。私は被爆者ではないけれど、未来に伝えていきたいです。

■人をきずつけない

「顔がきれいだったのが唯一の幸せだった」という展示物がありました。私はこの展示物から「誰かわかるほど顔がきれいに残っている人もいれば、誰だかわからないほど焼かれた人もいる」という思いを持ちました。そしてここから「戦争はやっぱり人をきずつける、人の幸せをこわすものだ」と改めて実感しました。

しかし、人をきずつけるのは本当に戦争だけなのでしょうか。私はそうは思いません。戦争ももちろん人をきずつけますが、人が人の体、心をきずつけることもあると思います。例えば、自分がAさんとけんかをしていて、Aさんからきつい言葉をつきつけられたらもちろん心がきずついます。逆に自分がAさんにきつい言葉をつきつけたら、Aさんの心はきずつきます。このように、人が人の心、体をきずつけることはあります。

だから私は、人をきずつけないことがみんなの幸せにつながると思い、これが大切だと思いました。